裁判員制度について、語る。編
ヤモリさんは僕の友人で、
法律家を目指しておられます。
裁判員制度について理解を深めるとすれば、
この人をおいて他にいないでしょう!
第10回:あらためて裁判員に期待されること
矢透 |
裁判の現場で見る事件というのは マスコミが語る事件とは 別物なんだろうね。 実際に裁判の場にいれば、外から見て 「あの判決はおかしいんじゃないか」 という判決が出てくる妥当性というのも・・・ |
ヤモリ |
わかると思う。 「ああ、きっちりやってるんだ。 まともな判断なんだな、これはこれで」 って思ってもらえるチャンスじゃないかな。 |
矢透 |
今言ったように、裁判というのは 裁判官も検察官も弁護士も 「プロ」がやっているわけだよね。 国民の考えを裁判に反映する、 ということが 裁判員制度の目的なんだとしたら、 プロの中に入って、素人は どういうポジションを期待されてるんだろう? いきなり素人がやってきて、 素人考えで異議を差し挟む、という余地は なかなか見つけられないと思うんだけど |
ヤモリ |
ひとつ、裁判員に期待されているのは 「事実認定」 なんだよ。 |
矢透 |
事実認定? |
ヤモリ |
その事実はあったか、なかったか。 検察側が出している証拠と、 弁護士側が出している証拠と どちらが普通に考えて「あった」といえるか という判断なんだけど。 裁判官の判断が妥当かというと、 必ずしもそうとは言えないんじゃないか? と思えるところがけっこうある。 「裁判官の考える世界」 というのがやっぱりあるんだよ。 その「アタマの中にある世界」と、 現実の世界との間にはどうしても 少しズレがある。 そういうところに裁判員の期待されている ところがあるんだよね。 |
矢透 |
裁判官の人間としての限界なのか 職業としての限界なのか、わからないけど とにかく 「一人の人間が判断する」ということの限界を、 裁判員が入ることで何とかしていこうと。 |
ヤモリ |
要するに 裁判官は、こういうところ(喫茶店)で 飯を食ったことがなかったり ゲームセンターで遊んだことも なかったりするし、 そういうところで人間がどういう 行動をとるか、というのは わからなかったりするのかな? っていう思うことはある。 人間は常に合理的な判断をして 行動するわけじゃないでしょ。 「動揺していてよく覚えてません」 ということも 経験がある人ならよくわかるだろうけど そういう経験がない人にとっては 「考えがたい。言い訳にしか聞こえない」 ということになってしまう。 裁判員が入ることによって 今まで簡単に切って捨てられていた 事実の中で 「これはもっと考えた方がいいんじゃないか」 というものを揺り戻すきっかけに なるかもしれない。 |
矢透 |
そうか。そういうことは あるかもしれないな。 えーと、そろそろ時間です。 今日はありがとうございました! |
ヤモリ |
こちらこそありがとうございます。 |
これでヤモリさんとの対談は終わりです!
今後も、ヤモリさんには登場してもらおうと思います。
ご期待ください!