裁判員制度について、語る。編
ヤモリさんは僕の友人で、
法律家を目指しておられます。
裁判員制度について理解を深めるとすれば、
この人をおいて他にいないでしょう!
第8回:死刑について
矢透 |
あと思うのは、 「死刑判決が出ました」 とマスコミが報道して、 ふーんと思うことと、実際に自分が 「その人を死刑の場に追いやるんだ」 ということのあいだには、 大きな隔たりがあると思う。 |
ヤモリ |
あるね。 |
矢透 |
ラジオのドキュメンタリーで聴いたんだけど 実際に死刑を執行している人というのは、 仕事としてやっていることとはいえ、 ものすごく罪の意識に苛まれていると。 やっぱり現場を知らないで、言葉として 「死刑制度が云々」と言っていることと、 実際に刑が執行され、 自分が手をかけて人を殺している、 ということのあいだには やっぱりものすごく大きな隔たりがある という気がする。 裁判員制度が始まることで、 死刑制度というものが存在している以上、 やっぱり自分が死刑制度を下す場に 置かれる可能性があるから・・・ だから今回、そういうところを問い直す きっかけになるかもしれないよね。 |
ヤモリ |
うん、やっぱり距離があることによって 見ないで済ましていることもいっぱいあるけど それも踏まえて判断をしなければいけない ということになっていくんだろうね。 つい最近あった、 (注:この対談は2008年7月に行われました) 山口県光市の事件の死刑判決だけど 死刑判決の妥当性はともかく あの理由付けは、俺はおかしいと思う。 マスコミからの情報を引いてきて、 証拠を見ていない状態で こんなことを言うのはどうかと思うけど。 |
矢透 |
あの事件だってマスコミを見てる分には 「死刑なんか当然だろ」 と思ってしまうけれども もしかして自分が裁判員として あの場にいたら 「死刑判決はやめておきましょう」 と言うかもしれない。 |
ヤモリ |
マスコミが語る事件というのと、 裁判員として実際に見る事件というのは 違うんだよ。 本当の事件の真相というのは、 あそこに立たないとわからないんだよ。 |
矢透 |
そうか。 |
次回、「どこまでマスコミに振り回される?」につづきます!