感情はマネジメントできない。できるのは行動だけ。(覚書)

2016/05/08

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Paper / SGPhotography77

こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

今回はささやかな一筆書きのごとき覚え書きエントリーです。

ワタクシは時折、非常にユーウツな気分に陥ることがあります。気分の波、バイオリズムというやつでしょうか。どうしても気分が晴れず、自己否定的な気持ちで心が一杯になるのでした。

うつとまでは行かずとも、その日は本当に最悪です。

この30数年間、その波を避けようとしては失敗し「どうしたらいいのか・・・」と悩んできたのでしたが、「これはもうどうしようもない」ということで結論を得ましたので、その覚え書きです。

感情はマネジメントできない

なぜ感情が沈むのか?について考えてみますと、結論から言うと、これはもう天気のようなものであります。

低気圧が迫るとなれば気分が沈み、月曜日が来るとなれば気分が沈み、髪が伸びたのなれば気分が沈み、仕事で失敗したわけでもないのに何気ない一言に気分が沈み・・・。

つまり、感情は天気のように移り変わり、さしたる原因もなく、下がったり、そしてまた上がったりするのであります。

するとなれば、感情を「コントロール」したり「マネジメント」するというのは土台無理な話ではないでしょうか。

行動はマネジメントできる

しかし、人間は賢いもので、感情と行動を司る脳の部位は分かれているのであります。

感情はより原始的な部位「扁桃体」によって発生するとされています。「扁桃体」は生存本能を司る部分です。例えばライオンににらまれると「恐怖」、蛇を見ると「嫌悪」とか、生物としての人間が生き延びるために、ヘタしたらこれはヤバイ死ぬぜ!ということについて瞬時に判断を下していると言われています。

これは人間が自分の意志でコントロールできるものではないです。

対して、行動(と行動を起こすために論理的に考える脳)を司る脳はどちらかと言うと新しめの部位「前頭前野」によって行われます。これは人間が意志によってどうするかを決めることがてきます。

この「感情」と「行動」が分かれていることが肝であります。つまり「感情」はマネジメントできないにせよ、その感情に関係なく、どう行動するかはマネジメントできる、という自由はあるわけです。

行動にフォーカスすることで主体的に生きる

逆に言うと、私たちは「どのように行動するか」しかマネジメントできない、ということになります。

感情というものは、ときに理不尽に、意味不明に、上がったり下がったりを繰り返すものですが、その度に落ち込んで「あーかったるい今日はもう何もしたくない」とふて寝してしまうのか(たまにはいいですが、毎回では困ります)、多少の影響は受けつつも、すべきことをしよう、と行動にフォーカスするか、少なくともどちらの行動を取るかを選べるだけの自由はある、ことになります。原則的に。

ということで、今後はなるべく、行動にフォーカスして生きていくようにしよう、と思ったことでした。人間だものナ。

今回は名著「7つの習慣」の、ビンビン響く記述を引用して終わりにいたします。ここでは感情に身を委ねてしまうことを「反応的」、感情と行動を切り離して考えられることを「主体的」と表現しています。

感情は、他者の出方によって上がったり下がったりすることから、「反応的」な人は、自分のコントロールを他者に委ねてしまっている、という指摘があります。大変耳がいたい!

人間は本来、主体的な存在である。だから、人生が条件づけや状況に支配されているとしたら、それは意識的にせよ無意識にせよ、支配されることを自分で選択したからに他ならない。

(略)

反応的な人は、周りの物理的な環境に影響を受ける。天気が良ければ、気分も良くなる。ところが天気が悪いと気持ちがふさぎ、行動も鈍くなる。主体的な人は自分の価値観にもとづいて行動している。質の高い仕事をするという価値観を持っていれば、天気がどうであろうと仕事に集中できるのだ。

(略)

反応的な人は、社会的な環境にも左右される。彼らは「社会的な天気」も気になってしまうのだ。人にちやほやされると気分がいい。そうでないと、殻をつくって身構える。反応的な人の精神状態は他者の出方次第でころころ変わるのである。自分をコントロールする力を他者に与えてしまっているのだ。

(略)

衝動を抑え、価値観に従って行動する能力こそが主体的な人の本質である。反応的な人は、その時どきの感情や状況、条件づけ、自分を取り巻く環境に影響を受ける。主体的な人は、深く考えて選択し、自分の内面にある価値観で自分をコントロールできるのである。

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

-世界の片隅から(よもやま話)