どうにもならない日記(1)

2024/01/27(土)

ふと日記を書こうと思い立つ。日記がいいのではないかと。

ヤトミックカフェを日記サイトにしてしまおうかなと思った

ヤトミックカフェも今年で20年を迎える。2004年に始めて、今年でひっそり20年だ。

コンテンツサイトとして立ち上げて、10年目でブログに変えた。そしてブログでいろいろと記事を書き連ねてきたが、20年目の今年に新しいチャレンジとして、日記形式のブログに変えてみようと思う。

noteにサイトを引っ越してしまおうかなとも考えたが、独自ドメインを当てようとすると、PROプランにしなければならず、高すぎて手が出なかった・・・。いまどき独自のドメインで個人ブログやってるのもただでさえダサいのに、日記だとますますアクセス落ちるよな〜と考えるが、よく考えたら今だって別に大したアクセスがあるわけではない。

それよりか、後から自分で読み返してほくそ笑むことができるコンテンツがあるほうが、なんぼか良い。自己満足でいいんだよ。そのうち自己満足のポッドキャストも再開してしまおうと考えている。

なぜ日記なのか

そもそもなぜ日記なのか、と言うと、自分は、人の日記(と言ってもちゃんと文学作品として発表されているやつが中心。当たり前。)を読むのが昔から好きだからである。

日本は「日記文学」という一大ジャンルがあり、武田百合子の「富士日記」とか、内田百閒の「百鬼園日記」などが僕はほんとに好きで、心が落ち着く。人が何を考え、どんな生活を送っているのか、というのを知るというのは、実は一つの娯楽なんじゃないかと思う。

自分は42歳だ。もう、なのか、まだ、なのか、わからないが、確実に歳を重ねている。そんな中にあって「明日から使えるスキル」を漁るよりも、人の人生に学びを求めるほうがいいんじゃないか。

自分のことも同様だ。自分にとって価値があるのは、日々の積み重ねであり、生きてきた証だ。それはつまり、やっぱり、日記なのではないかと。そのように思った次第。

前置きが長くなってしまったが、あとは日記である。

毎週末やっている、週次の振り返りをカフェでやる。ルノアールに入って名刺管理の「EIGHT」のスキャナーがあることを期待したがその店舗になかった。最近またリアルでの名刺交換機会が増えてきて、名刺が増えている。

お昼に牛肉のフォーを食べる。うまい。1月に入ってから牛肉のフォーを同じ店でめちゃくちゃ食べている。

2024/01/28(日)

妻が体調不良でやや寝込む。朝からネットで見たギリシャのスープ「アヴゴレモノ・スープ」(チキンのタマゴレモンスープ)を作る。レシピを見て作るだけだが簡単で美味しい。。

御徒町の小島屋さんにサンザシを買いに。最近ハマっていて食べ過ぎかもしれないと思うくらいに食べている。

約1ヶ月の改装期間を経て、サウナ室が拡張した「池袋プラザ」へ。ikiストーブが鎮座していて、新しいサウナの香りがしてすごくよかった。そのあと昼寝。

このところ半期に一回の評価面談のための振り返りをしている。この振り返りが難しい。結果的には目標に対して達成できず、の評価であったが、「結果がダメだったから全部ダメ」という0点の振り返り、自己否定の嵐になってしまっていて、まったく健全な振り返りにならない。

日曜に仕事もせずサウナに入って惰眠をむさぼっているため、怒られそうで嫌だな。

2024/01/29(月)

月曜はいつも嫌いだ。嫌いというか、怖い。何が怖いのかと言われてもわからないが、とにかく自分が悪いことをしている気持ちになる。土日に仕事もしないでサボりやがって、とか、とにかく間違ったことを自分が知らずのうちにしでかしている気持ちになる。

最近読んで、本当に共感と感銘を受けている「死ぬまで生きる日記」。「死にたい」という発作のように襲い来る思いに苦しめられていた著者がカウンセリングに向かい合った記録。

気持ちの流れや、カウンセラーとのやり取りなど、僕もカウンセリングを受けていた経験あるが、リアルであり、かつここまで心の変化や微細な感情を適切にすくい取れるのはすごすぎる。

「どういう時に、その発作は起こりやすいのでしょう?」
私の基本情報を押さえたあと、まず、本田さんはそんな質問をした。
「朝起きた時が一番多い気がします」
「朝なんですね。夜ではなくて?」
「夜も眠れない時はしんどいけれど、一番しんどいのは朝が来た時ですね」
「その時はどんな気持ちでしょうか」
「不安です、すごく」
「不安?」
「誰かが私のことを怒っているんじゃないかなって、起きてすぐに携帯を見てしまいます。寝ている間に、怒りのメールが来ているんじゃないかと」
(死ぬまで生きる日記)

わかる・・わかりすぎる・・。

評価の時期です

夜に、半年に一度の評価面談に際して、自己評価を深めるための壁打ちMTGの時間をもらう。

こういう時間をちゃんと取ってくれるところは会社の好きなところ。

いっぽう、自分の嫌なところはいろいろ目につく。来年一年は今の等級のままがんばって、再来年にさらに上に行けるよう活躍できるようにがんばりましょう・・・という結論になり、自分も頭では納得しているものの、自分に対してモヤモヤする。

自分がもっと能力や人間性に優れていたらどうだったのだろう。もっと行動ができる人だったら・・・など考えても仕方のないことを考えてしまう。

2024/01/30(火)

いくつか自分がアジェンダセッティングしなければいけないMTGがあり、日程調整や論点整理がゴチャゴチャしてきて混乱する。

こういうときにリモートワークだと、Slackで呼びかけても返事がなかったり、テキストできちんと意図を伝えねばならないし、メンションしたうちひとりだけ返事がないとか、クライアント側との調整もどうしようとか、パニックになる。

そして数日塩漬けした結果、どうにもならなくなり、社内の人に泣きつく。どうなってるんだ俺は。

未だに自分の何が苦手ポイントなのか言語化できない。だから人も、私のことがわからない。「あなたが何がわからないかわからない」と言われる。ずっとそうだ。急に落とし穴に落ちたみたいに無能ポイントに落ち込んでしまう。

リーダーシップについて考える。「リーダーシップを発揮する」ということが来期の目標になりそう。言葉だけ見ると小学生か中学生のクラス委員の目標っぽいが、実質レベルは変わらないのかも。ただ、「リーダーシップはリーダーだけが発揮するものではない」というのが近年のトレンドであり、社会情勢にも合っている。そういう「全員発揮のリーダーシップ」を実現するためのリーダーシップを発揮する・・・というのがややこしいが来期の目標。

2024/01/31(水)

朝食を食べに近所の松のや(チェーン店)に出かける。いつも朝食は食べない派(単なる習慣)だが、ときどき散歩を兼ねて朝食を食べに出かけることがある。珈琲館やファミリーレストランのガストが近所にあるし、マクドナルドもある。ふとしたときに外食して食べる朝食が好き。ロイヤルホストが徒歩圏内にあるといいなあ。

朝にコンビニのコーヒーを買うのが好き。コンビニやスーパーで、決してすぐには必要ではないがあるとうれしいものをお金を出して買うのが好き。子どものような買い物衝動を持っている。

やや気分の重ための会議が数本。会議が終わると同時に解放感からテンションが上がり、トイレハイになった猫のようになる。

2024/02/01(木)

クライアントに会食にお呼ばれし、おいしいディナーをごちそうになる。夜景がきれい!素敵!

今日会食をしたクライアントの話。大きな企業でのキャリアと、自分のような比較的小さい組織でのキャリアとは、おのずと実感が異なる。大企業においては「異動」というある種の生き方の転換を伴うキャリアチェンジが強制的に行われる。住む場所から関わる人までが決められてしまう、という青天のへきれき感もありつつ、いっぽうで、そうしないと出会わなかったキャリアというものもある。

今日わかったのは、最近の自分の評価に関わる「モヤモヤ」は、「自分の能力の頭打ち」を感じたサラリーマンのそれだということ。どうがんばっても自分はこれ以上は上がれないんだ、という絶望を自分は感じているのかもしれない。それが客観的な事実なのかどうかはわからないが。

話は変わるが、家庭でのストレスを聞いてください。

小学5年生の息子がぜっさん反抗期で毎日衝突する。宿題をやらない、勉強しない、ダラダラしていつまでも風呂に入らないなど、当事者としてやられるとこれほど情けなく、苛立つものはない。親としての資質を問われている気がするし、育て方を間違った気もするし、こんなだらしなくて大丈夫なのか、と心配する気がするし、こんなに心配してるのに本人はヘッチャラでそれがまた腹が立つ。

とにかく感情がないまぜで、それが家という閉鎖空間で行われるから怒りが増幅する。自分の人間のできてなさにもタメイキが出る。

2024/02/02(金)

月に一度の全社会。オンラインで、毎回テーマを変えて行われる全社員参加のイベントである。これは弊社の組織開発と組織学習における大事な機会となっている。毎回の企画やファシリテーションを担当してくれているメンバーに感謝。

昔から、人と比較して苦しんできた。比較しよう、という気持ちがないのに、人が褒められているとなぜか苦しかった。「あの人みたいにやってごらん」と言われると苦しかった。嫉妬ではない。他者にベクトルが向いてさえいない。徹頭徹尾、自分のことしか頭にない。「自分ができてない」ことを強烈に自覚して凹んでしまう。

全社のイベントだと、人を素直に称賛したい心と、人に感謝しようとする心と、人と比較して劣等感に潰される心と、素直になれない自身の人間性が嫌になる心とが、ないまぜになってすりつぶされて、ぐちゃぐちゃになってつらい。

気分が塞いでやばかったので、夜にサウナに行き、混んでいて閉店間際で2セットだけだったが、ちょっと気持ちが落ち着いた。42歳になってもまだ心の動きが子供の時のままだ。

Image by Christine Sponchia from Pixabay

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