3月11日に思うこと

ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
東日本大震災からまもなく丸2年が経とうとしています。震災が起こってからまる2年、3月11日を迎えるにあたって、思うところを短めに、備忘録として書いておこうと思いたちました。

思うことその1

東日本大震災は、やはり歴史の転換点だと感じています。2011年3月11日以前と以後では、意識が変わってしまいました。
「復興」ということが日本の大きなテーマになりました。「日本は安全」という幻想がなくなりました。地震活動期に入ったといわれる日本列島にあって、「防災」「減災」ということが大きな意味を持つようになりました。「新しく作る」ということの輝きが失せました。過去に作られたもの(原発を始め、高度経済成長期に作られたもの)の耐用期間が迫っている、あるいは過ぎていることが明らかになりました。

思うことその2

それに、あまり大きな声で言いたくはありませんが、原発事故です。まだリアルタイムで進行中である(と私は認識している)この事故で、日本は決定的に「元には戻れない」ことになってしまいました。私はうまく言えませんが、この事故で、私はどこか日本人であることに対して「負い目」を持つことになったと感じています。常に肩に荷物が乗っているような、そのような心持ちがします。

とはいえ、そのようなことは普段から声高に言うことではないと思います。この時期だから、あらためて311を思い出すべき時期だから、言葉にしなくてはいけないのだ、と思うから言うのです。

思うことその3

創作物に対しても「311以後/以前、どちらに作られたものか」ということを、常に気にするようになりました。例えば私が音楽や本、映画や、テレビ・ラジオ番組などのアーカイブにふれるときは、これが2011.3.11よりも前に作られたものか、あとに作られたものか、ということがさっと頭をよぎるようになりました。

「以前だからよくないのだ」とか、そういうわけではありません。ただ、311以後の創作物にはやはり「歴史を共有している」という意識があるのです。

想像力を現実が規定することも起きるようになりました。「原発事故が起こらなかった日本」を舞台にすることが、今のところはちょっとマイナスの意味を持つようになりました。

思うことその4

以下は、私がヤトミックカフェに2011年3月21日に書いた文章です。

twitter上で紹介されていて、↓のブログを拝読しました。



被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ



詳しくはお読みいただければと思いますが、



・「何かをしたい」と思っている若者が、地震直後の被災地でできることはない。

・しかし、一年間その気持ちを持ち続けていればきっと活躍できるチャンスが見えてくるだろう



という趣旨の内容です。



当たり前のことなのですが、復興は長期戦です。

今は皆、僕も含めて、一種の興奮状態に

あるような気がしています。


でも、半年、一年と時間が経つにつれ、

日常に追われて地震のことを忘れるように

なるでしょう。



でも、たとえ僕が忘れたからといって、

地震の傷が癒えるわけではないです。



あくまで僕は、ということですが、

上のブログにあるように、まずは一年間、

「自分に何かできないのか?」

という気持ちを覚えておくようにしたいと

思います。



「忘れないでいる。気にかけている」

ということが重要かな、と感じます。

「一年間その気持ちを持ち続けていればきっと活躍できるチャンスが見えてくるだろう」という言葉を、私は覚えておこうと決めました。

その機会をうかがっているうちに、一年をゆうに超え、震災三年目を迎えようとしていますが、今でも、私は反芻しつづけています(早く何か行動に起こせよ、という気もします)。

実に非力で、怠惰な人間である私ですが、ようやく何か、ささやかでも役に立てる時期かもしれない・・・と感じています。具体的なことは何もないのですが、今年はそういう予感がします。

-世界の片隅から(よもやま話)