考えていないことを言語化するには

こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

読書感想文が書けないと、先日子供が悩んでおりました。国語の授業で読書感想文を書くように言われたものの、何も思いつかなかったとのこと。

思えば、読書感想文を書く、というのはなかなかにハードルの高い作業だと思います。

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読書感想文のいちばんの敵とは

人によって様々で、かつテクニック的なアドバイスもありますが、読書感想文を書くためにはざっと以下のような作業が必要とされるでしょう。

  1. まずどういう内容だったのか、をまとめる
  2. 内容を理解したうえ、全体的な感想をまとめる
  3. (2)に基づき特に印象に残ったところをピックアップする
  4. (3)にまつわる感想をまとめる
  5. (4)がまとまったら感想文の構成を考える
  6. ガシガシ書く

とこんな具合だと思うのですが、ここでつまづくのが(2)だと思います。いきなりつまづく。

そもそも、読書感想文が苦手である、という場合にありがちなのが、「感想が特にない」「特に何も思わない」ということなのです。

あるいは「楽しかった」「面白かった」「悲しいと思った」という内容のない単語の「ラベル」が想定される。

読書感想文の手強い敵が「何も思わない」ということなのです。

何も考えが浮かんでこない、というとき

「あなたはどう思う?」と聞かれたとき、頭が真っ白になった経験はないでしょうか。私はあります。というか、一日に必ず起こるくらいの高頻度で起こっております。

「黙っていてはわからないです。あなたが考えていること言語化してください」

そう言い放たれ、私の発言を待たれている状態・・・考えるだけで吐き気のするシーンですが、こういう「言葉にできない」「何も考えられない」という感情振れ幅ゼロの状態のとき、必要なのは、果たしてなんなのでしょうか?

ここで、こんなマトリクスを用意してみました。

考える、という頭の中の思考と、言葉にする、というアウトプットと、人はその2つを行き来しながら、人や自分とのコミュニケーションを行っています。

今回話題にしたいのが、注目が、右下「言語化困難」および左下「無思考」です。こちらはそれぞれ、言語化できない理由が違います。

「言語化困難」の場合

これは以前のエントリー(「言語化」のための真のトレーニングとは何か)で書いた内容ですが、そもそも頭の中に考えがあるのであれば、それをどのように「引きずり出すか?」が、言語化のためには必要になります。

人は、自分の考えを100%理解できているわけではありません。言葉にして、外在化して初めて、自分の考えを理解できるのです。

読書感想文の例でいうと、「本を読んで確かに面白かったが、どう面白かったかは言葉にできない」という状態のとき。このときのトレーニングは、考えと言語の通り道を強化することです。

「面白かった」のであれば、どこが面白かったのか。面白い、という言葉自体が本当か。ほかに自分がオモシロイと思っているもの、例えばゲームやアニメと比べてどれくらい面白いのか。

というようなことを、例えば、ノートに単語を一つ書いてみて、それを手がかりに連想ゲームで言葉を連ねていくなど、心が少しでも動くポイントを探っていく。すると、だんだんそこに、自分の頭の中の一部が映し出されていく。

抽象的な内容ですが、前回のエントリーで取り上げたジャーナリングは、そういった言語化のトレーニングにもなります。

「無思考」(何も考えが思い浮かばない)場合

よりハードなのが、「何も考えが浮かばない」けれど「何か言わないといけない」というときです。

この領域は、そもそも必要がなければ「考えもしないし、ましてや言葉にもしない」という領域なので、言語化を要請されるのは、社会的な役割による要請であることが多いでしょう。

読書感想文の例で言うと「1ミリも興味が持てないが、作文を書かなくてはいけない」という場合です(読書感想文の場合は「なぜ自分が興味を持てないか」という理由をテーマにするという裏技がありますが)。

私の場合は、大変恥ずかしい話ですが、マネジメントロールを持っていたとき、メンバーの業務のことや、数字のこと、自分のチーム文化について考えるとき、はしばし頭が真っ白になりました。

これは「自分にとって今まで考えたことがない」ことでありながら「社会の中での役割としては考えなくては回らない」ということでした。

そういうときには、「頭の中にあるものを言葉にする」のではなく、「そもそも何を思うか」という「考え自体」を組み立てなくてはいけません。

つまり、知識の習得、行動を通じたフィードバック、自分なりの知見の獲得と、そもそもその領域に対して、自分を拡張させるところから始めないといけないわけです。

「何も考えが思い浮かばない」ときは新しい学びのチャンス!?

何も頭が思い浮かばず、しかし言葉にできず、冷や汗をかく・・・思い浮かべるだけで冷や汗が出るし、できれば経験したくないシーンです。

先程のマトリックスで言うと、左上のパターン(可もなく不可もないありきたりのことを言う)で、逃げる手もありますが、この屈辱的なシーンを逆にとらえると、今まで興味もなかったし、考えたこともなかったことについて、新たに学び、自分なりの知見を築き上げていくというチャンスでもあります。

もしかすると、新しい自分に出会えるという意味で、「無思考」の領域の言語化にチャレンジすることは、大変ながらも楽しいことと言えるかもしれません。

-世界の片隅から(よもやま話)