2014年は「手書きの価値」が見直される
こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
2014年もヤトミックカフェをどうぞよろしくお願いします。
2014年でヤトミックカフェはサイト開設から丸10年になりますが、その話はまたこんど。
以前のエントリーで、手書きについて書きました。
手書きとデジタルの完全な融合は、2013年現在では完成していない、という話でしたが、考えてみるとそのエントリーは「デジタルの価値」にクローズアップした話だったと思います。
今回は、「手書きの価値が2014年に見直されるのではないか?」というエントリーです。
年賀状の一筆のうれしさ
というのも、いただいた年賀状を見ていますと、手描きで一筆、書いてくれている方が多いのですが、手書きがあると、明らかに気持ちがうれしい。
このうれしさはなんだろうか。と思うと、それが手書きの価値なのだ、と思い至ったのです。
仕事でも年賀状を送りますが、その際は必ず、下手くそな字ながら、一筆を入れます。そこに手書きの価値を加えたいからです。
また、例えば好きなアイドルのファンクラブのサービスで送られてきた年賀状に、肉筆で一筆書いてあったらどうでしょう。うれしいと思いませんか。(アイドルでピンと来なければ、杉良太郎でもいいです)
私たちは、手書きの肉筆が受け取る人の気持ちをうれしくさせることを知っています。
手書きの情報量の多さ
手書きには、書かれた意味以上に、多くの情報量が乗っかっています。
格好いいことが書いてあっても、字が下手だと説得力がなくなりますし、印象も悪くなります。逆もまたしかりです。(「日ペンの美子ちゃん」に代表されるペン習字を多くの人が習ったのもうなずけます)
手書きの情報量の多さは、デジタル音源に対するアナログレコードの情報量の多さに似ています。
アナログレコードには、デジタルだとカットされてしまう周波数帯が溝の傷の中に記録されています。人間の耳には聞こえない情報が空気感を生み、なんとも言えない味わいを醸し出すのです。(と言われています)
なぜ、今、手書きなのか
と、今までに書いたようなことは、さんざん言い尽くされてます。
それでも「2014年に手書きの価値が見直される」と私が考える理由は、私がデジタルな文字情報に飽きてしまったからです。
デジタルの文字情報の価値は「書かれていることの意味」だけです。何が書いてあるか、ということだけです。
私が書いても、Aさんが書いても、鳩山由紀夫氏が書いても(もののたとえ)同じです。
それに対して、手書きには、意味だけでなく、誰が書いたか、ということが含まれます。
身体性?とでもいうのかしら。
筆跡、書くのに使ったペンの種類、書き直したかどうか、何の紙に書いているか、さらには手紙なら手紙を書くまでにかかった手間ひままで、全てが情報となります。
そして何より大事なことに、その情報はすべて、受け取る側が「うれしい」。
そのうれしさは、デジタルの文字情報にさんざん飽きてしまった私たちに、新しく新鮮なものとして、捉えられるのではないか??と思うのです。
この時代に、今さら手書きの復権はないでしょうが、手書きには明らかに、この時代にあって新たに付加された価値があります。
それを活かしたサービスが、2014年に何かしら生まれるのではないか・・・?というのが僕の見立てです。