ミッドライフ・クライシスを乗り越えるのはネガティブケイパビリティかもしれない

2021/05/16

こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

以前のエントリーで、自分がミッドライフクライシスに陥っていることについて書きました。最近「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を知ったことで、自分の中でつながるものがあったので、書きたいと思います。

そもそもミッドライフ・クライシスはなぜ起こるのか

ミッドライフクライシスはなぜ起こるのか、についてはいろいろな原因があるそうですが、年齢的なものが大きな要因になりそうです。その原因を大きく分けると、以下になるのではないでしょうか。

若さが失われていくのを感じる

気がつけば、これまでのように時間を湯水のように使うわけにはいかない年齢に来ている。身体の衰えも感じている。未来に対して自分がとり得る可能性の幅が狭まっている。未来に対して希望が持てない気持ちがする。

未来がわからない

社会が変化していくなかで、自分はこの先、どうしたらいいかわからない。これまでの経験やスキルが通用するかもわからない。しかもこれまでのように若さを当てにできない。どうしたらいいいのか。

自分の時間が有限であることを感じる

親も老いていき、自分も老いていく。死という人生の終わりをこれまで以上にはっきり感じる。そのことに対する潜在的な不安。自分にはかつてのように、可能性が限りなく広がっているわけではない。なんのために生きているのかわからない。誰も答えがわからない。

そんな感情的なもやもやや不安・苛立ちが、ミッドライフ・クライシスという形で表れてくるのではないでしょうか。

ネガティブケイパビリティとは

課題を発見し、解決する能力を「ポジティブケイパビリティ」と呼びます。一般的に「課題解決スキル」と呼ばれ、称賛されているものです。

それに対し、よく分からない状態、すぐに答えを出せない状態に何とか耐え忍びながら、考え続けること。そのことができる能力を「ネガティブケイパビリティ」と呼ぶと、最近知りました。

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書) Kindle版

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。  あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。

ネガティブケイパビリティは、目に見えて評価される華々しい「スキル」ではありません。しかし、論理的に割り切れないこと、矛盾、よくわからないこと、こういう「脳にストレスがかかること」から逃げずに、とどまり続けるには、必要な能力です。いわば人間的な胆力に近いかも知れません。

また、ネガティブケイパビリティは、人間をより本質的な答えにたどり着かせたり、安易なヘイトに飛びつかず、他者に対する寛容的な態度を持つために、必要な能力ともされています。

おそらく、ミッドライフ・クライシスのような「簡単に答えの出ない状態(答えがあるかどうかもわからない状態)」を耐えるために必要な能力ではないでしょうか。

ミッドライフ・クライシスを成熟機会としてとらえる

人生の後半では、ポジティブケイパビリティ=問題解決能力だけでは、乗り切れない領域に突入していきます。安易に処方箋が出ないし、一人ひとり置かれている状況も違う。とり得る行動も違う。まさに「宙づり状態」に置かれます。

ミッドライフ・クライシスは、人生に急に現れた「問題解決できない、どうしたらいいかわからないよくわからない不安」です。思春期になぞらえ「思秋期」という言い方もあるくらいで、まさに自分で自分を制御できないような、不安な状態に放り出されます。俺の人生なんだったんだろう・・・という虚しさや、まだまだ行けるはずなのに、という焦りが募ります。

しかし、思春期の子どもたちとは違い、ミッドライフ・クライシスに陥っている自分たちは、立派な大人ですから、その変化に対し、やはり、大人らしい対処をしていかなければいけないと思います。

不安や虚しさ、答えの出ない宙づり状態に対して、安易に屈服せず、なんとか耐えながら、やり過ごし、自分や家族や、他者の幸福を考えていくこと。そういう一朝一夕に解決できない問題に耐えつづけることこそ「人間的な成熟」につながってくるのかもしれません。

そもそも、ネガティブケイパビリティという概念自体、人生のままならなさに対し、最後まで屈服せずに早逝した一人の詩人が生み出したものだといいます。

そのことを考えるとき、自分が陥っているミッドライフ・クライシスは、人間的な成熟の好機ととらえられるのでは?と思いました。不安や虚しさ、という感情にとらわれて、今はつらいけれども、「簡単には答えが出ないもの」と割り切り、耐えながらいろいろやってみることで、もしかすると、人生の後半のステージを豊かにする好機になり得るのかも知れない・・・。

きれいごとかもしれませんが、そんなことを考えました。なんとか屈服せずに、引き続きこの問題について考えていきたいと思っています。

-世界の片隅から(よもやま話)