「言語化」のための真のトレーニングとは何か
こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
前のエントリーで書いたように、マネジメントを仕事としてするようになって、「言語化が大事だ」とあらためて思うようになりました。というのは、何かにつけ、言葉に出して人に説明する機会が増えてきたからです。
プレイヤーであるときには、ある程度、暗黙知に頼ることができたのですが、自分ひとりで仕事が完結しなくなると、考えていることを言葉で伝え、相手に理解してもらい、動いてもらわなくてはいけません。
「言語化が大事」という話は、私が言うまでもなく、前から言われていることですが、実際に「言語化せよ」と求められるとき、やってみると、予想以上に難しい。そこには、単に思っていることを言葉にするだけではない、微妙なレイヤーがあるように思います。
Kotsuis and Hohhuq - Nakoaktok / Smithsonian Institution
「言語化」の困難さとは
「言語化」というと、その重要性は認められているものの、ではどうしたら鍛えられるかについては、様々な主張があります。
特に「普段から思考する習慣をつける」とか、「語彙力を鍛える」とか「ブログを書く習慣を作る」など、「言語力」と「思考力」をそれぞれ鍛えれば、さすれば道は開かれる、という主張が多いように思います。
それはもちろん大事なのですが、いずれの主張も片手落ちな気がしています。私は思うのですが、「言語化」の困難さの本質は、思考から言葉にする、という「変換」のプロセスにこそ、あるのではないでしょうか。
ではなぜ、単に「思っていることを言葉にする」だけのことが、私達にはできないのでしょうか?
理由1:思考は言葉だけで行われないから
人間は言葉があるからこそ思考することができますが、必ずしも言葉だけで考えているわけではありません。そこには言葉になっていない「前提知識」とか「記憶」とか「イメージ」とか「感情」などが、混ざってきます。
また、脳には、思考や行動を無意識にできるように「自動化」する機能があります。
「ファスト&スロー」は、その機能を明らかにした本ですが、脳には、何か物事が起こったとき、これまでの経験や知識、価値観に基づいて、ほぼ「直感」で物事を判断する機能が備わっているそうです。
従って思考が「自動化」されてしまっている場合、「言葉で考えてすらいない」可能性もあります。
「言語化」するときには、そうした言葉になっていない思考や、長ったらしいコンテクスト、自分ですらわかっていない自動化された思考をわざわざ特定して、言葉に置き換えていく必要があります。端的に言って非常に面倒くさいというのは、安易に想像できます。
もちろん大変な分、その効用は大きいので、チャレンジする価値はあります。例えば「認知行動療法」は、思考の言語化をすることによって、自分でも気づいていなかった認知の歪みを正していく方法です。
「言語化」は、自分の認知を見える化することであり、それには、人間を変えてしまうほどの大きな力があるのです。
理由2:相手と前提条件が異なるから
自分の思考は、これまでの知識や経験の蓄積が積み重なって、暗黙知となっている層が存在します。だから、単に表層的に出てきた言葉だけを伝えても、相手には伝わらないことが多いです。
それは、言葉の背景にある、深い思考レベルを相手に伝えないといけないからです。そのためには、相手が自分と同じ思考レベルやコンテクストを持っているか否か、によって、言葉の使い方・選び方を変えなくてはいけません。
相手と自分がもっている思考レベル、コンテクスト、文化圏がかなり異なる場合、使う言葉の選び方や、伝え方を相手に合わせて、戦略的に組み立てる必要があります。
1.自分の使っている言葉を定義する:そもそも、どのような意味で使っているか
2.今回のコミュニケーションで相手に伝える内容と目的を定義する
3.相手の置かれているコンテクストや理解度を把握する
4.自分の使っている言葉を、1.〜3.に基づき、洗い直す
5.コミュニケーション達成のための説明戦略を立てる
上記をおろそかにすると、相手に説明が伝わらず、相手から見ると「言語化ができていない」ということになります。
これは、「思っていることを言葉にする」以上のコミュニケーションですが「言語化」はここまでやって、初めて成功すると言えます。
・・・が、やはり面倒くさいので、トレーニングが必要です。
言語化のトレーニングとは
事程左様に、「言語化」には、ざっと見ただけでも
1.自分の思考を、自動化された部分も含めて言葉にする
2.相手に説明するために、相手に合わせて言葉を組み立てる
という2つのレベルが必要になります。
1.と2.は連続して行われることが多いですが、厳密には「異なる作業」と捉え、トレーニングするべきだと思います。
1.は、思考から言葉への「変換」を鍛えるトレーニングが必要ですし、2.は、相手に合わせて論理を組み立てるトレーニングが必要になるからです。
簡単ではありますが、私の経験則から、一つ一つ、トレーニング方法を見ていきましょう。
1.思考を言葉にする訓練
「自分の考え」を外に出す・言葉に出す、ためには、言葉になっていない思考の部分を、普段から言葉にしておく必要があります。そうすることで、思考を「引っ張り出す」時間コストが、徐々に下がってくるからです。
「ブログを書け」とか「Twitterでつぶやけ」など、「言語化を習慣化せよ」系統のアドバイスは、言語化の時間コストを下げることを目的としたアドバイスといえます。
また、考えていることを書く(あるいは声に出す)と、言語化のスピードが速くなるだけでなく、「考えが深まる」効果もあります。
「思考」を言葉にして外に出し、改めて目で読み、読んで耳で聞くことで、自分にフィードバックされ、それに基づいて、あらためて考えを深めることができます。
自分の考えをとにかく外に出してまとめる、という意味では、このブログでもおなじみの「スマートノート」や「ゼロ秒思考」の訓練をコツコツ続けることをおすすめします。(人によりますが)楽しいし、役に立つと思います。
あとは、考えを言葉にするという意味では、四行日記でもよいでしょうし、私はときどき「Googleキープ」で、考えをまとめています。
「ブログを書く」のも大変良い選択肢と思いますが、かなり面倒くさく、挫折する可能性があるため、まず極力ハードルの低い方法を少しずつやってみることをおすすめいたします。
あと、考えが深まったら、信頼できる人に見せてレビューを受ける、というのもおすすめです。
2.人に説明するために言葉にする訓練
人に説明するときの言葉の組み立てのポイントはいろいろありますが、最も大きなポイントは、「伝えるべきことの優先順位づけと、枝葉末節の切り捨て」、つまり、伝えるべきことと、伝えなくてもいいこと、の取捨選択です。
慣れていないと、事柄の一部始終や、細かいニュアンス、全て伝えようとして、相手からすると却ってわかりにくくなる、ということが起こります。したがって、自分が伝えたい全貌の「どこまでを切り捨てるか」の判断が必要になります。
その判断には、相手との関係性や、伝える必要性とのコンテクストを読まなければいけないので、一朝一夕には難しいかもしれませんが、イメージとしては、会議の議事録を(発言録ではなくポイントを絞って)書くのに似ています。
意外と「議事録の書き方」って、意外と役に立つノウハウがないし、組織の中でも暗黙知となっていて、教えてもらえないことが多いのです。私がかつて議事録の書き方を学ぼうと思ったとき、読んだのが山田ズーニー先生の本です。
文章の目的を徹底的に意識し、ポイントを絞る、という意味では、数年前のベストセラーである「イシューからはじめよ」も論旨は似ていると思います。
あとは、やはりこちらも、信頼のおける人にフィードバックをもらうようにするといいと思います。
まとめ
「言語化」が大事だということはよく言われますが、私が常々思っていたのは、どのように、どのレベルで、何を目的として必要なのかが人によって違う、ということでした。
言葉は、コミュニケーションの基本的にして最強のツールですが、意味の定義付けを疎かにしたり、コンテクストを相手と合わせないと、効果が薄かったり、意外な大事故を起こしたりします。
もしかすると、日本においてはコンテクストを共有する人が多いため、そうした「言語化の重要性」が今まで低かったのかもしれませんが、最近は、明確に「層」が分かれてきた印象があって、それと比例して、言語化の重要性が高まっているのかもしれません。
いずれにしても、言語化トレーニングの詳細については、私も勉強中であり、今後、もう少し詳しく書くかもしれません。。