怒りをコントロールするとはどういうことか?

2016/05/08

anger
anger / madstreetz

こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

前回「感情はマネジメントできない。できるのは行動だけ。」というエントリーを書きました。

「感情」は原始的な脳の働きなので、発生はコントロールできないものの、「感情」に「行動」を支配されないようにすることはできる、という主旨でした。

そのエントリーで出した例としては、主に「軽度のうつ状態」のときに何もしたくなくなる、というものでしたが、さらに強い感情である「怒り」について、今回は恥ずかしい体験談を交えて、書いてみようと思います。

怒りに行動を支配された例

恥ずかしい例ですが、先日から、立て続けに「怒り」に行動を支配されてしまいました。

CASE1.

先日、家庭内で子供の世話をめぐって夫婦間でささいなことから喧嘩になってしまい、売り言葉に買い言葉をつづけた結果、怒りにまかせて物を放り投げたところ、ガラスを破損する、という失態をしてしまいました。

ガラスの破片を片付け、そしてそれで指を切ってしまい、何より子供がガラスを踏んだらどうしようかと、本当に情けない気持ちになりました。本当に自分が嫌になります。こんなことを書くのも嫌です。


さらには、こんなこともありました。

CASE.2

携帯電話が壊れてしまったので、その修理を相談するために某ショップに行きました。窓口に案内されて座り、電話の状態をチェックするとのことでPCと接続し、そしてしばらく待つように、と言われてスタッフはどこかへ行ってしまいました。

その日は休日でたいへん混んでいて、スタッフは他のお客の対応のために席を立ったのだと思われます。

しかし、10分〜15分待っても、PCでのチェックはとっくに終わったというのにスタッフが戻らないのです。私は自分がこのようにないがしろにされたと感じ(あんたの修理なんか、他のお客に比べたら取るにたらないことだ。お前など待たされて当然だ)、修理をしないままPCから電話を引っこ抜いて、スタッフに声をかけないまま、ショップを後にしてしまいました。


いずれも振り返ると本当に恥ずかしいことです。しかし、そのときには、頭がカッとなっていて、怒りに行動を完全に支配されていたため、「自分がこの行動を取るのは当然のことだ。私は正しい」と強く感じていたのです。

怒りに行動を支配されてはいけない理由

その時の心理は、自分を蔑ろにされた「屈辱感」です。そして、屈辱を自分に与えた相手に対して「制裁」を加えることが正当である、という思いに強く支配されていました。

「なぜわかってくれないのか!」という「いじけ根性」も根底にあったと思います。

しかし、どんなに怒りが正当であっても、怒りに任せて行動をすることはマイナスの結果しかもたらしません。

人から・家族から、白い目で見られ、信頼を損ねてしまいます。さらに、自分で自分に対してがっかりするというか、自己嫌悪に陥り、自己評価をますます下げてしまいます。

私は、この「怒りやすさ」の原因は、根本的に「自己評価の低さ」にあると考えていますが、怒りに行動をまかせてしまうと、さらに自己評価が低くなり、そしてますます怒りやすくなって・・・という悪循環に陥ってしまうのです。

だから幸せな人生を送りたいと思うなら、怒りに行動を支配されてはいけないのです。

アンガーマネジメントとは何か

最近「アンガー(怒り)マネジメント」という言葉をよく耳にします。先日はテレビで前園真聖さんが、暴行事件で逮捕されてしまった後、アンガーマネジメントに取り組んできた、という話をされていました。

「アンガーマネジメント」とは、なんでしょうか?「アンガーマネジメント協会」なる団体によると、アンガーマネジメントとは、以下のように説明されています。

アンガーマネジメントとは、1970年代にアメリカで始まったアンガー(イライラ、怒りの感情)をマネジメント(上手に付き合う)ための心理教育です。

(略)

怒りの根本には、実は様々な感情が隠されています。その感情がなんなのか?自分の怒りが起こる原因は一体どこからなんだろう?

アンガーマネジメントを学ぶ事によって、自分自身の怒りを理解し、コントロールしたり、癒したり、ポジティブなものへ変換させたり、自分の中でたくさんの変化が生まれ、感情がさらに豊かになり、職場での問題解決や、夫婦や友人、人間関係全般、自分の周りに関係するあらゆる物事に良い循環が生まれます。

アンガーマネジメントとは|アンガーマネジメント協会HPより

おそらく「アンガーマネジメント」とは、怒りの発生そのものをコントロールするのではなく、「怒り」と「行動」を切り離す、ための訓練がメインなのではないかと思います。怒りを感じることはやむを得ないとはいえ、そこで、自分を損ねてしまうような行動を「しない」ことは、自分で努力しコントロールできるからです。

「自分を観察する」ことの大切さ

また、自分の怒りの原因について知っておくことは意味があると思います。「どんなときに自分は怒ってしまうのか?」を知ることで、また同じような状況になったとき「自分は怒っている」ということに気がつくことができると思われるからです。自分の「怒りの感情」に気がつくことができれば、行動をマネジメントする余地が生まれます。

事ほど左様に、感情と行動を切り離し、行動をマネジメントしようとするとき、「自分を観察する」という習慣をつけておくことは重要でしょう。そうしないことには、簡単に強い感情に飲み込まれてしまいます。

あの、頭が真っ白になり、皮膚や血管ががざわざわとし、視界にすっとフィルターがかかり、相手にどう「制裁」を加えようかということしか考えられなくなる、あの恐ろしい感覚は、まさしく原始的なもので、とても強いものです。

これに対抗するためには「自分の怒りの原因」をふだんから知って、「自分を観察する」というトレーニングを積んでおくことです。

偶然か、あるいは本質的なことなのか、最近話題となっている「マインドフルネス瞑想」も、うつを改善する「認知行動療法」も、「自分を観察する」ということが大きなファクターとなっています。「自分を観察」し、行動をマネジメントすることが、人生を豊かにすることにつながっている・・・という気がします。

しかし、このようにエラソーなことを書き連ねてきて、なんですが、本当に怒りに行動を支配されるのは恥ずかしいです。だって先に出した私の例は、どちらも「怖い人」「痛い人」です。なんの笑い話にもなりません。恥ずかしいし、本当に嫌なことです。

「怒りのマネジメント」(怒りと行動を切り離す)および「自分を観察する」トレーニングは、私の人生において最重要課題だと思います。なんとかしていきます。

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