3月11日に思うこと(2014年)

こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

今年も3月11日を迎えました。震災から丸3年となります。1年前と同じく、3月11日に思うことを、短めではありますが記録しておきたいと思います。

昨年の「3月11日に思うこと」というエントリーで私はこんなことを書いていました。

一年をゆうに超え、震災三年目を迎えようとしていますが、今でも、私は反芻しつづけています(早く何か行動に起こせよ、という気もします)。
実に非力で、怠惰な人間である私ですが、ようやく何か、ささやかでも役に立てる時期かもしれない・・・と感じています。具体的なことは何もないのですが、今年はそういう予感がします。

しかし、恥ずかしながら具体的な行動を何か起こすでもなく、忙しさにかまけて一年を過ごしてしまいました。ため息。

一年は本当にあっという間です。ルーチンワークに身を任せ、何も考えなくても過ぎ去らせてしまうことは可能です。こうして普段と変わりなく日常を過ごせることがいかに幸せなことなのか、3年前の私は思い知ったはずなのに、これではいかんなあ・・・と思っています。

何の教訓もなく、私は2014年の3月11日にそんなふうに思っています。

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「震災を忘れるな」という声を聞きます。「震災を忘れるな」とはどういうことなのでしょうか。もちろん、復興も原発事故後の処理も現在進行形であります。多くの物事はまだ片付いていません。そのことを忘れるな、ということはあるでしょう。

そのことについては、ほぼ日の「気仙沼のほぼ日」や「100のツリーハウス」の取り組みにあるように、「行き来を作ってしまう」という工夫や「東北からコンテンツを作る」という工夫に学ぶところが大きいです。

「〜せねばならない」という義務感は脆く、何かを続けるためには、震災を忘れないことにコミットするには、頭を使って「お楽しみ」を生み出さなくてはいけません。これこそが「コンテンツ」や「クリエイティブ」の本懐でしょう。

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しかし、あらためて考えると、2011年3月11日を境に、私たちはまるで村上春樹の「1Q84」のように、震災後の世界にふっと入り込んでしまったような気がして、不思議な無力感、疲労感に襲われます。それ以前の世界との違いがどんなだったかは、もう忘れかかっています。

「震災を忘れるな」とは、日常の中にすでに3.11が入り込んでいることを忘れるなよ、ということかな、と思います。

考えてみれば、私の息子は2012年に生まれ、生まれた時から原発処理をしている世界に生きているのです。しかしそれ以前の世界があったことを私は知っています。

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そしてまた、3.11後にも、大きな災害はやってきます。3.11は終わりではなく、ただの通過点に過ぎません。

先日も大雪で関東甲信越に特に山梨県に大きな被害が出ました。いかに災害に対して社会が脆弱であるか、災害が起きた時に情報が止まってしまうか、ということを実感しました。

なんというか、震災が起きた時と同じような議論を繰り返しているような気がしました。もちろん災害の種類に寄っても異なるのでしょうが、こうした災害時の対応については、やはりデータを得て、検証していく必要があるだろうという気がします。

また、防災も大事です。当たり前ですが、災害は予測できません。防災の重要さについては、意識し過ぎるほど意識しても十分ということはありません。

3.11後の世界においては、少なくとも私は何かしら具体的な技術を世界から要請されているような気がするのです。情緒に流されることなく、社会に貢献できたら良いのですが。

-世界の片隅から(よもやま話)