やりたくないことはしないほうが良い
こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
最近のことですが、どうもおかしなことに気が付きました。とある作業をやろうとすると、気分が沈鬱になり、手が重くなり、何も考えられなくなり、現実逃避したくなるのです。その作業にかかる時間も、他のタスクに比べて、異様に長い。
どうしたことだろうか?
とよくよく考えてみると、答えは簡単で、要するに私はその作業を「やりたくなかった」のでした。その作業が嫌いだったのです。
今回のエントリーは「やりたくないことをしない」ことの効用についてです。一見、ネガティブな意見に思えますが、果たしてそうでしょうか。
I am not feeling very well !!! / jespahjoy
やりたいことを探すって疲れる
やりたくないことについて考える前に、やりたいことについて考えてみたいと思います。
やりたいことを探せ、とはよく言われます。しかし、意外と難しいものです。そもそも、探さないといけないほどに、見つかりにくいのですから。
その理由を考えてみると、自分一人では見つかりづらい、ということが挙げられます。
この場合の「やりたいこと」とは、自分の人生のテーマとなるような、深い欲求です。
「朝は毎日遅くまで寝ていたい」
という浅い欲求とは、ちょっと違います。でも「やりたいこと」というと、これも欲求ですし、何が深くて、何が浅いのか、わかりづらいのです。
それを判断するのは自分ですが、判断するためには、人生の経験がある程度必要です。つまり、様々な選択肢に出会うということです。例えば2〜3年は普通に働いてみて、それでも自分は寝て暮らしたいのだ、という強い意志があれば、それは深い欲求だ、ということがわかります。
そういうことをすっ飛ばして、「やりたいことを探せ、いま探せ、さあ探せ」とせっつかれても困ります。無理なのに。だから疲れるのです。
対して、やりたくないことを見つけるのは容易い
その反面、「やりたくない」ことは、比較的、簡単に見つかります。
というのは、冒頭の私の例のように、まず、身体が拒否反応を起こすからです。人間、やりたくないことをつづけると、身体が悲鳴をあげます。だましだましやっていると、体を壊します。
ですから「面倒くさいなあ」と思っていても、いざ始めたらスルッとやれてしまうようなことは、「やりたくない」部類には入りません。面倒くさがっているだけです。
「やりたくないことをしない」ことの効用
やりたくないことをやめてしまうと、まず心が清々しくなります。身体が拒否するほどにやりたくないことをやめるのですから、考えれば当たり前です。
さらに、やりたくないことをやめると、そこに空き時間ができます。空き時間ができると、心に余裕ができます。余裕ができると、希望が生まれます。極めて健康によいのです。
また、「しない」と決めることの効用は他にもあります。やりたくないとをしないためにはどうすればいいか、頭が働き始めるのです。今の仕事が嫌なら、やり方を変えてみる、人に任せてみる、いっそ仕事を変えてみる。などなど、選択肢が見えてきます。
「やりたくないことをしない」ことは効率的な方法でもある
「やりたくないことをしない」というと、ネガティブでわがままな意見に思えますが、実は効率的な方法でもあると思います。
このブログでよく紹介する「ストレングス・ファインダー」では、「強みにフォーカスしよう」と言っています。強みとは、「ついつい無意識にそれをやってしまう」行動の集積です。自然にやってしまうので、正しく活かせば、上達も早い。
対して、やりたくないことは自分の弱点です。自分に備わっていないものなので、強化しようとしても、うまくいきません。やりたくないことを無理やりやっていても、向上しません。時間の無駄です。
やりたくないことをイヤイヤやっているくらいなら、少しでも自分の強みにフォーカスすべきです。
ですから、結局、やりたくないことはしないほうがいいんじゃないかと思うのです。
そして意外と、「やりたくないことはしない」という方法は、「やりたいことを探す」ためのアプローチとしても、有効なんじゃないか?という気もします。目の前の選択肢から、「これはないわ」というものが削られて、絞り込まれるからです。
いま就職活動中の人は、やりたいことを苦労として探すよりも、「やりたくないことをしない」と決めてしまうのはいかがでしょうか。