飲み食いに関する日記やエッセイを読むと元気になる

2020/05/26

こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

まったく双極性障害、すなわち躁うつ病のようだ。そのような声が聞こえてきそうです。前回の記事とまるで真逆。というか、まったく違う内容になり、人格の連続性さえ疑われるような記事で恐縮です。

今回はタイトルの通り「飲み食いに関する日記やエッセイを読むと元気になる」です。

リモートワークで、自宅で仕事をする良い点として、本を読む量が少し増えたのです。しかし、読む本は雑食で、仕事に関する本もあれば、まったく仕事には関係ないが、精神衛生上まことに良い本、というのもあり、脈絡も一貫性もない。つまみ食いをするように、少しずつパクパクと読んでいく、という行儀の悪い読書スタイルで、恥ずかしい限りです。

で、話は飛びますが、私は、「飲み食いに関するテキスト」を読むのが大好きなのです。私自身は少食で、かつお酒が飲めない(体質的に)なのですが、酒飲みの日記とか、食道楽のエッセイとかが、とにかく好きなのです。読むと元気になるというか、心が少しだけ慰められる感じがある。

今回は、私が好きな「精神衛生上まことに良い本」と、その中から抜粋したTEXTをズラズラと並べてみました。当然ながら、この記事には何らの教訓や、スキル化できるような知識、ライフハックのたぐいは一切ありません。

吉田健一「酒肴酒」

吉田茂の長男で、英文学者の吉田健一の、珠玉の一冊。密度の濃い比類なき文体。好き。好き。大好き。

この酒で河豚の刺身を食べたらどういうことになるか、やってみなければ解らないが、この店でこれを飲めば、店の名物の「囀(さえず)り」が食べたくなり、「囀り」を食べればもっとこの酒が飲みたくなる。その「囀り」というのは鯨の舌を四角に切って串に刺しておでんの鍋で煮たものである。味も柔さも極上の豚肉に似ていて、脂の所が多いのに豚の脂味のしつっこさが全くない。大阪では鯨をいろいろなふうに使うとは聞いていたが、舌をこうして煮るのはたこ梅だけではないかと思う。実際は味が相当に濃いもののようで、また一つには肉を柔くするために、だし代わりに「囀り」の串は鍋の底に入れてあり、ちょうどいい頃になるまではこれを頼んでも主人が鍋から出してくれない。

池波正太郎「食卓の情景」

名著であり、一家に一冊はあると思われるため、説明は不要。

私が、はじめて〈好事福盧〉の味を知ったのは、むかし、祇園のお茶屋で、酒のあとに出されたときのことであった。
材料は蜜柑(みかん)である。それも紀州蜜柑の大きなやつ。
この中身をゼリーにする。蜜柑の実をしぼったジュースへ、キュラソーをそそぎ、ゼラチンでむっちりと固めたものを、また蜜柑の皮へつめこみ、パラフィン紙で包み、蜜柑の葉の形のレッテルをひもで下げる。古風な、いかにも明治・大正をしのばせるデザインなのだが、今も変わらぬ。

内田百閒「御馳走帖」

百鬼園先生の名著であり、こちらも説明不要と思われる。先生の随筆全てが精神安定剤として一級品。

初めにアイスクリームを飲み又は食ひ、次ぎにソップを食ひ又は啜り、ソップの時から乾果を出させる。其後一種或は二種の御馳走をたべて、それから珈琲を飲む。それでお仕舞かと思うと又食卓ボイを呼んでライスカレーを持つて来させる。船の中の晩餐の時に、私はさう云う食べ方をすると、この頃になつて大学の辰野隆博士が頻りに云ふので困る。辰野博士とは去年の夏一緒に往復一週間許りの船旅をしたので、其時の事を持ち出すのである。

平松洋子「焼き餃子と名画座」

食文化と暮らしをテーマにしたエッセイを多く書かれています。「ステーキを下町で」を紹介したかったのですが、家の中で見つからなかった。こちらも素敵な一冊。読むと必ずお腹が空いてくる。

さて、たった今、その冷えひえの生ビールが目のまえにある。こんがりきつね色のでかい焼き餃子が六個、なかよく身を寄せ合い湯気を立てながら皿の上に整列している。ついに手に入れた幸福をうっとり眺めまわし、自分を焦らして「うむ」などとおおきくうなずく。早くも生ビールのグラスがびっしり水滴をまとっている光景を視界に捉え、一気に針が振り切れそうになる。
ぐびぐび、ぷはー。

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