自分に合ったジャーナリングのスタイルを見つける試み
こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
思えば、私の人生は、「書く」ということと共にありました。中学生の頃から始めた日記をかなり長いあいだ書いていましたし、社会人になってからも、書くことによって思考を整えていく、ということは、私にとっては自然で、やりやすい方法でした。
ヤトミックカフェにおいても、スマートノートやゼロ秒思考など、何度か「書く」ことを軸とした思考ツールに取り組んだ記録を紹介してきました。
そういった、「書く」という作業を通じて思考を整えていく行為を「ジャーナリング」といい、「書く瞑想」とも言われて近年注目が集まっています。
しかし私はといえば、そうした世間の状況と反比例するように、2020年を通じて「書く」習慣がほとんど消滅し、ペンを持ってもろくに書けない、という状況に陥っていました。書けないばかりか、無理に書くと余計に気分が落ち込んでしまう、という有様でした・・・。
ジャーナリングに取り組めなかった理由
2020年は、おしなべて精神的に辛い年でした。仕事の失敗、コロナ禍における環境の変化など、いくつかの負のスパイラルがありつつ、抑うつ状態のピーク(あるいは底というべきか)に陥っていたためです。
ジャーナリング=心に浮かんだことを書く、というのは簡単で誰でもできます。それでいて気持ちを落ち着けてくれる効果があります。だからこそ、ジャーナリングは有効なセルフヒーリング行為たり得ています。
しかし、気持ちが極端に落ち込んだり、不安が強く、不安の対象となっていることを少しでもアウトプットしたら死んでしまうんじゃないか、という恐怖にかられているときは、何も書けなくなる、ということを私は経験しました。
書けないでいるうちに、いつの間にか「書く」という習慣が薄れていきました。
再びジャーナリングを始めようと思った理由
そうした状況を経て、いま私は再び「ジャーナリング」に取り組み直しています。
きっかけはミーハーで恐縮ながら、一冊の本を読んだからでした。朝の時間を有効に使うために、良習慣を身に着けようと「人生を変えるモーニングメソッド」を読んだのです。
本書では、朝の習慣の一つとして「ライティング」(日記を書くこと)が推奨されています。
日記は、思考を文字に起こすことで頭が整理されて、その日のスタートが良くなるだけでなく、後にまとめて読み返すことでさらに強いパワーが得られる。
(略)
日ごとの精神状態を再確認することで、1年間の自分の成長を客観的に見つめるのだ。
自分の下した決定や選んだ行動、そしてやり遂げたことなどの進歩の歩みを振り返ることで、12ヶ月でここまで達成できたことに新たな感謝の気持ちが込み上げ、自信がわいてきた。
私も、書くこと、そして振り返ることの素晴らしさを味わいたい!と思い、あらためて「書くこと」を試みたのですが、「あれ?何を書けばいいんだっけ?」とわからなくなってしまいました。ノートを目の前にしても、何も出てこなかったのです。以前なら、どんどん湧き上がるように書きたいことが浮かんできたのに・・・。
ジャーナリングのメリットと弱点?
ジャーナリングは、一度やってみると効果は抜群で、ネガティブな気持ちが前向きになったり、ぐちゃぐちゃだった思考が整理されたり、次の行動が決まったりと、良いことづくめです。
ジャーナリング自体はメリットが多く、とりたててデメリットはないのですが、あまりにも自由である、という点が、弱点といえば弱点?かもしれません。
「心に浮かんだことを書く」ということ以外に制約がありません。使うツールも自由、書く内容も自由。テーマを決めてもいいし、決めなくてもいい。決まった時間に書いてもいいし、書きたくなったときに書いてもいい。文章にして書いてもいいし、マインドマップ方式で書いてもいいし、ゼロ秒思考でも書いてもいい。
このように、自由であるがゆえに、「自分にはどんなジャーナリング・スタイルが合うのだろうか?」という試行錯誤が必要になる、という点が弱点といえば弱点なのかもしれません。
また、私のように何かの外的要因で習慣が一度薄れてしまうと、これまでやってきたスタイルが、「ハマらない」という場合も生じます。その場合は、またスタイルを模索することになります。
新しいジャーナリング・スタイルの探索
ということで、私は再び、ジャーナリング・スタイルを模索しています。まだ定まった方法はないのですが、ジャーナリングを始める方の参考になるかもしれないので、記録としてご紹介します。
1. 音声入力
すでに「書く」という形式さえも飛び越えて、Evernoteに音声入力でひたすら思考をつぶやきまくる、という形式を試みています。
現在、不安を感じたときに、不安を感じた状況を記録しておく、という認知行動療法的なメモをしているのですが、iPhoneの音声入力はかなり優秀で、ほとんど誤字もないし、音声で発するほうが書くよりも楽です。
クイックな記録や、思考を垂れ流して記録するにおいては有効ですが、後から振り返るときにかなり脈絡がない場合があります。
2. ノートをあえて無駄遣いする
スマートノートにやや似ていますが、内容がほとんどない、というところが違います。「書く」ということに対して醸成された苦手意識を払拭させるため、100円ショップで買える安いキャンパスノートを「あえて無駄に使う」ということを自分に課しました。
- 乱暴に
- ページを無駄にし
- 平気で書きなぐる
というやりかた。
使うペンもまちまちで、裏写りしても気にせず、グシャグシャに書きまくる。手元において、絵を書いたり、メモを書いたり、オンライン会議中に冷や汗をかいたら、「やばいやばい」と書く。
この「あえて乱暴に使うことを自分に課す」というやりかたが、何かの枷を外してくれた感じがありました。
現在までに二冊「無駄」にして、かつてスマートノートで書いていたような、何か意味のありそうな思考が、ようやく書けるようになってきました。しかし、「モーニングメソッド」にあるような、記録として振り返るに足る「日記」はまだ書けていません。
3. noteに日記を書く
最後の方法は、前2つの方法よりも「日記」という形式にこだわっています。「第二次緊急事態宣言下日記」というnoteを立ち上げ、緊急事態宣言が出ている日常の日々の記録を毎日書く、という実験をしてみました。
2021第二次緊急事態宣言下日記|Yatomic cafe(音楽/小説/ブログ)|note
こちらは前2つに比べると、形式的にも純粋な「日記」になっています。noteという媒体を選んだためか「読ませる」ことに主眼が置かれていて、内省的な要素はやや薄くなっています。こちらもけっこう書くのは楽しいですが、「ジャーナリング」という観点でいうと、ちょっとかっちりしすぎているかなアという印象です。
まとめ
ジャーナリングは、「書く」というシンプルな行為を通して、自分の深層心理とつながることができ、自分自身をアウトプットする、という行為を通じてメタ認知を形成することのできる、素晴らしい行為です。
ただ、上に書いたように、もしかすると「自分にしっくりくる」ライティングスタイルを見つけ、自分なりのやり方を確立するまでに、いろいろ試行錯誤が必要になるかもしれません。
これからジャーナリングを始めようとする人も、また、一度やってみたけど合わずにやめてしまった、という人も、ぜひ一緒にジャーナリング・スタイルを見つけていきましょう。