自分の弱さから自分の資源を探究する

こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

約1年半ほどブログ更新をお休みしておりましたが、その間もnoteを書いたり、小説を書いたり、仕事を忙しくしたりと、いろいろと動いておりました。

2004年に始まったヤトミックカフェも、いよいよ20年目を迎え、老兵かくや・・・といった趣ですが、変わらずお付きあいのほどよろしくお願いいたします。

ミッドライフクライシスは少し落ち着いた

前の記事が、私自身のミッドライフクライシス関連の記事だったのですが、ミッドライフクライシスの焦燥感や気分の沈み込みは以前よりは落ち着いています。

以前よりも焦燥感が落ち着いたのは、職場において新しい役割をもらったことや、自己肯定感を上げるためにいろいろと取り組んだことが、大きいと思います。

新しい役割は、以前、数年前に挫折してしまったマネジメントの役割を、あらためて小さく再チャレンジしているところです。新しいチャレンジができる環境にあることはありがたいことだと思います。

ただ、まだまだ自分に対する「もう40歳を超えているのに・・・」と思うことはあり、自分と人を比較してしまうことから生じる「検閲」はなかなか厳しいですね。

自分の資源を探したい

私は折に触れて考えることがあるのですが、それは自分の「資源」についてです。人生後半をどう生きていくのか。を考えていくにあたって、自分の資源と向き合う必要性がぐんぐん上がってきています。

自分の「資源」とは、ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)における才能の定義とほぼ近似ですが

  1. 自分が得意であること
  2. かつ他の人には理解できないレベルで自分が得意であること
  3. かつ自分がそれをすることに苦労をしないこと

を指します。自分にとって「自然」なことが、他の人にとってみると理解できないレベルで「高度」であること。

これは組織であれば「コア・コンピタンス」などといい、戦略の「肝」であるわけですが、なかなか自分自身のことだと客観的に理解できないことも多いです。

他の人と自分を比べる割に、自分自身を低く見積もってしまうバイアスなどがあったり、自分の資源はあまりにも自分にとって「当たり前」であることが多く、「自分の資源」を正確に、公平に、高く見積もることができないのです。

弱さの中にある資源

最近聴いているポッドキャスト「となりの雑談」や、そこで教えてもらったnote「自分を知るワークブック」を読んで思ったことなのですが、それは、自分の「弱さ」の中に、自分の「資源」があるのではないか、ということなのです。

これは直感レベルなのでもう少し突き詰めたいのですが、「強み」とか「やりたいこと」といったポジティブな入り口からだと、私は自分の資源にたどり着かない印象があります。

例えば私の弱さは、明確に「不安」です。

おそらく不安神経症と呼ばれるようなグラデーションの上に、私は立っていると思います。

「不安」が生じるせいで、責任のある仕事ができなかったり、あるいはもう少し突っ込むべき場面で突っ込めなかったり・・・。

正直、この不安と付き合っていくのは本当にしんどいです。この不安をなんとか消したいと思い、この5年くらい、カウンセリングに通ったりしていましたが、なかなか根本的に治りません。私という人間の芯は、本質的に「不安」でできているのではないか・・・と思うほどです。

しかし、この「不安」と向き合い、こんな自分でもなんとか世の中を渡るためにストレングスファインダーを学んだり、自分自身のアンラーニングに取り組んだりと、自分を実験台にする、というこのブログのコンセプトの一つができたような気がするのです。

弱さの探究はユニークネスの探究

不安という爆弾を抱えた「弱い」人間の工夫や試行錯誤は、決してほめられるものではありませんが、確かに私だけのユニークネスといえます。

資源とは、差別化をはかる「もと」になるものです。

何でもかんでも定量的なものに、売れるものに、という新自由主義的な世界観は私たちを疲弊させますが、決して売り物にならない「自分だけの工夫」とか「自分が生きるためにやっているもの」を入口にしたユニークネスの探究は、少しくらい楽しくやってもいいのではないでしょうか。

ユニークネス=資源の探索の入口になるのは、「強み」とか「好きなこと」といった、ポジティブなものだけでなくてもいいはずです。

自分自身のどうしようもない「弱さ」を見つめ、そこに自分らしさ、自分にしかできない世界への適応のありかたを見つけること、そこから私だけの「資源」を発見することもできるのではないでしょうか。

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-世界の片隅から(よもやま話)