泳ぐことと、プールを作ること|「自分のアタマで考えよう」を読んで

ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

最近、立て続けに仕事で壁にぶち当たることが多くなってきました。自分のせいで1つの案件をつぶし、危うく自分の能力不足のせいで案件をつぶしそこねました。こりゃいかん、と反省しています。本当に。凹みます。人生で何度目かのどん底を味わっています。

何が原因だったのだろうか、と考えようと思ったのですが、そもそも、「何が原因か」を考えることさえ自分はできていないことに気が付きました。

「俺って何も考えてこなかったのだなあ。薄々気がついてはいたがやはり俺はバカだったのだなあ」

そんなことがわかったのですが、わかったところでどうしようもなく、とにかく「考えること」を始めないといけないと思い、本を読むことにしました。

自分のアタマで考えよう
ちきりん
ダイヤモンド社
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「自分のアタマで考えよう」は、ブロガーのちきりんさんによる「考えることの基本」の本です。例えるなら泳ぐのが初めての子どもに、泳ぎ方を教えるような本だと思いねえ。まず水を顔につけて、バタ足をしてみよう・・・というような優しい本です(初心者にはそれすら難しい)。

ちきりんさんはこの本の中で、「考える」についてこう定義しています。

「考える」とはインプットをアウトプットに変換すること。

「私は考えた」というのは、「私はあるインプットをもとに、何らかの結論を出した。ある考えに至った」という意味です。それは「仮の結論」でもいいし、最初の段階では間違ったものかもしれません。それでも「その時点での結論を出した」というのが「考えた」ということです。

ということで私ははたと膝を打ち、この本を夢中で読み進めました。

なるほど、の連続でした。この本には様々な「考える」=「結論を出す」ための方法、考え方が載っておりました。縦と横に比較する、とか、データに対して背景を読み込む、とか、一朝一夕では身につかないのは当然にしろ(泳ぎ方を読んだだけでは初心者は5メートル泳ぐのも無理)、とっかかり、ヒントをもらうことができました。

しかし・・・私は釈然としないことが残るのに気が付きました。この本の内容に関することではありません。読み終えた後、やる気まんまんの私の眼の前に合った問題、それは何かというと・・・

考えることが、ない。

本の中には様々なデータが載っていました。出生率と少子化の関連とか、自殺者数のグラフとか。例題はたくさんあった。しかし本を読み終えてみれば、私はやはり初心者。考えることのできない男のまま、プールのスタート位置にポツンと立ったままでした。いや、そこはプールですらなかった。プールが見つからない。練習したいのに、泳ぐ場所が見つからない。

ああ、そうかと。私は気が付きました。私は本当にバカです。救いようがない。

プール探すのも含めて、「考える」ことなんだと。

そう、むしろ、仕事とは、プールを探すことなんだと。

仕事とは、「問い」を探すことだったのだと、気がついたのです。

すでにある既存の問い、与えられた問いに、一生懸命に取り組むことも意義深いことでしょう。しかし仕事の本質とは、もう少しレベルが高かった。

そもそもお前が泳ぐプール作れや

だったのです。

そんなこともわからずに、30歳を超えてフラフラしている自分には、さて、これからプールを作ることなどできるのでしょうか。むしろその前に東京砂漠で見捨てられ、干上がって死んでしまうかもしれません。そのときはそのときです。

-世界の片隅から(よもやま話)