ミッドライフ・クライシスに陥り、その対処法をいろいろ考えている
2021/01/01
こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
2020年は、新型コロナウイルスの猛威に覆われた大変な年でした。パラダイム・シフトの真っ只中にあることが明白であるような。しかし振り返ってみると、それによって起きた変化は、すでに少しずつ内面化されているように感じます。
変化はありつつ、人は少しずつ状況に慣れていきます。何がどう変わったのかを記録していかなければ、ビフォアは永遠に忘れ去られてしまうでしょう。
という世界的な話題から一気に閑話休題いたしますが、ヤトミックカフェを2004年に始めたとき、私は23歳でした(若かった!)。それからダラダラと生きてきて、2021年には40歳になります(ゲゲゲーッ!)
そう、世界がコロナに翻弄されているとき、私が陥っていたのは、ミッドライフ・クライシス(中年の危機)という名の、抑うつ状態でした。そして現在も、うつ・ゴーズ・オンであります。
ミッドライフ・クライシスとは
2020年後半は、ほとんど軽いうつ状態で過ごしてきました。自己肯定感も極端に低くなり、何もアウトプットする気になれませんでした。それは仕事上のミスやポカもありつつ(いつもですけれども)、深刻なのが「もう40歳にもなるのに、その体たらくは何だ」というインナーボイスが響くことでした。
調べると、その状態はミッドライフ・クライシス(中年の危機)に近い、ということがわかってきました。
中年の危機とは、中年期特有の心理的危機、また中高年が陥る鬱病や不安障害のことをいう。ミッドライフ・クライシス(Midlife crisis)の訳語であり、ミドルエイジ・クライシス(Middle age crisis)とも表記される。(wikipedia)
ミッドライフ・クライシスとは、ざっくりざっくりざっくり言うと、人生の折り返し地点に差し掛かった人が陥る、「私の人生こんなはずじゃなかった」という痛みを伴う心理です。
説明はとまれ、とにかく辛い。めちゃくちゃ辛い。今も渦中の私としては、自分が何のために生きているのかわからなくなるほど辛い。アイデンティティがざっくり削られているような気がする。
何がそんなに辛いのか
体感として、心をフォークでズブズブと刺されるのが、こういう思考と痛みです。
- 40歳にもなって未だにできていないことが多すぎる。
- 自分の人生の限界が見えてきた(ような気がする)。
- 人と比べて自分が達成できていないことが見えてきた。
- そしてその差は永遠に埋められないことに気がついた。
- その後悔は取り返しのつかないものであると気がついた。
- 自分の人生は間違いだったと思うようになった。
これらは客観的に事実であることもあるし、事実でないこともあるでしょう。そもそも先のことなんかわからないし。でも、心の痛みとしての体感は「自分は人生を間違えてしまったし、もう取り返しがつかない」という考えです。その痛みは、理論ではなかなかねじ伏せられないものです。
対処方法はあるのか
多くの人が経験し、特にうつ病や自殺にもつながるミッドライフ・クライシスですが、原因や感じる辛さは人によって様々です。なので、一概にこれをやっておけば大丈夫!という対応はないようです。
記事でいろいろ調べると、仏教系の記事に行き当たります。もしかすると、この辛さの対応のために宗教に入信する人も多いのかもしれません。そのように思うほどです。
多くの人が陥る危機でありながら、普遍的な解決策はない。だから第二の思春期とか、そういう名前で呼ばれているのですが、大人になった今は、自分で考えて乗り越えるしかありません。
私が考えたミッドライフ・クライシスの対処法
私は、このミッドライフ・クライシスの辛さを乗り越えるためのテーマが、3つあるのではないかと考えました。
すなわち、
1. 人生の目標の達成をめざす
2. まったく違う方向への変化をめざす
3. 自己を受容する
の3つです。
1. 人生の目標の達成をめざすという対処法について
1.は、達成できなかった目標に対し、あらためて、目標を達成するために努力をしてみるという方向です。いわば、人生の忘れ物を取りに行く選択肢です。
私で言えば、かつて私には「小説家になる」という夢がありました。でも、就職をするか、夢を追うかで迷ったとき、就職する道を選びました。そのときの後悔を取り戻すべく、もう一度、本気で夢を追う、という選択肢です。
でも、私にとってはそれはあまり効果的ではないと思いました。なぜなら、小説家になる、という夢は、あまり切実ではなくなっているからです。卒業してから20年近く、あきらめずに小説を書き続けてきましたが、「小説を書く」という選択肢は、「他のものを諦めてでも手に入れたい」という渇望ではなくなっています。
かつて「私にはそれしかない」と思っていたものが、時がたつにつれて、「ワンオブゼム」になっていく。あるいは、「自分には手に入れられない選択肢」であったことに気がついていく。それ自体が、ミッドライフ・クライシスの原因でありながらも、その選択肢を執拗に追い続ける、という道を、自分は取らない(取れない)と思いました。
2. まったく違う方向への変化をめざすという対処法について
2.は、2021年の目標を立てるときに、試してみた考え方です(なので、効果があるかどうかはまだわかりません)。
私はいちおう、1年ごとに目標を立てていて、年末に振り返りをしています。2013年からは、目標と振り返りをEvernoteに書き付けてきました。半ば年単位の日記のようなもので、趣味なんですけどね。
ただ、これまで自分が立ててきた「目標」は、これまでやってきたことの延長線で立てられていると思いました。今やっていることをもっとうまくやるとか、さらにレベルを上げるとか。どこか、直線的な目標を立てていたように思います。
これまでは「自分が成長する」ということに対して喜びがありましたが、今の現状は「自分が直線的に目標に向かって成長しても限界がある」と先が見えると感じることで痛みを感じている状況であります。
そこで2021年は「成長」ではなく「変化」を目指そうと思いました。そして単なる「変化」ではなく、「でたらめな変化」。「なんでこうなったのか?」と自分でも訳がわからない変化を目指す。そうすることで、「こんなはずじゃなかった」という、現在の延長線上にある期待値と比較した自己認知を撹乱させようと考えたわけです。はてさてうまくいきますかどうか。
3. 自己を受容するという対処法について
セルフコンパッションという概念が、2021年はさらに広がっていくと思います。
セルフ・コンパッションとは、困難に直面した時、自分自身の肯定的、否定的側面の両方を優しく理解し受け入れ、その苦しみが人類に共通していることを認識し、感情のバランスを取れる特性と定義する。
セルフコンパッションは、新しいストレスマネジメントとして注目されてきたマインドフルネスをさらに推し進めて、自分に対し積極的に思いやりの心を向ける、という考え方とのこと。
しかも単に「自分を甘やかす」というものではなく、
- 自己の感情や思いに気づき、受容する
- 他者との共通の人間性に気づく
- 自分に対して優しさを向ける
という構成要素から成り立っている概念だといいます。
詳しくはこちらのハーバード・ビジネス・レビューにコンパクトにまとまっています。
ミッドライフ・クライシスとは、「自分の人生を自ら否定する」ということからくる苦しみが、その辛さの大半を占めていると思います。その感情の中には、これまでの人生で蓄積してきた「恥」の概念とか「自己否定」の概念が、ややこしく絡まっていて、なかなかスルスルとほどけてくれません。
また生きて会いましょう
というわけで、現状抑うつ状態の真っ只中にある私ですが、2021年も、ヤトミックカフェを更新したいと思います。何事もなかったかのように、誰も読まないような記事を書いていく予定です。とにかく、まずは健康であることです。2020年はその言葉が、言葉の上だけでなく、身にしみて体感できた1年だったのではないでしょうか。とにかく生きてまた会いましょう。それではまた。