「言語化」には少なくとも2つのレベルがある
こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
数年前に「「言語化」のための真のトレーニングとは何か」というエントリーを書きました。
そのとき、言語化については「頭の中にあることを外に出す」というくらいの意味合いで使っていたのですが、いろいろ考えると、言語化というものには、2つのレベルがあるのではないか、と思い至りました。
「言語化」というものの2つのレベル
いま、とある理由から日記を書く必要性を痛感しているところなのですが(これも機会があったら書きます)、そういえば、なぜ人は日記を書くのだろうか、自分以外は読まないと仮定したとき、どれくらい「人に伝わる言葉」で書けばいいのだろうか、などと思ったのです。
そのとき、そうだそうだ、一概に「言語化」と言っても、もしかすると、レベルがあるのかもしれないぞ、と考えたのです。
というのが、自分が考えたことや感じたことを「言葉にして外に出す」のが言語化だとすると、「自分だけが読むのか」「人に伝えるのか」によって、その難易度は大きく変わるのではないか、と思い至ったからなのです。
レベル1:自分だけがわかる言語化
前述のように日記を書いたり、あるいは「ジャーナリング(思い浮かんだことを紙に書き連ねる書く瞑想と呼ばれる行為)」をするとき、これは、自分の考えや気持ちを外部化する、という作業に当たります。
そして結果的に書かれたものは、往々にして人に読ませることは想定しておらず「自分にだけわかればいい」というものになります。
これが、言語化のレベル1です。
レベル1は「自分との対話」に当たり、そのときの文章は、他人が(もし)読んだとしたら、意味がわからないかもしれません。
というのが、このときの言葉は、自分でも言葉にし難い感覚や感情に直結しており、書かれた言葉の論理的な意味だけではなく、それを書いた状況とか、理由も込みで、「自分にとって意味がある」「自分にだけ通じる」ものとして、立ち上がってくるからです。
自分の気持ちを外に出す、という意味では、レベル1も立派な言語化であります。
レベル2:他人に伝えるための言語化
もう一つあるのが、「他の人にもわかってもらう」ということを成し遂げる言語化です。これが言語化のレベル2です。
「他人との対話」のために行われる言語化は、難易度が高いです。
というのが、「言いたいこと」として自分の内部ともつながっていないといけないし、かつ「他人にもわかる」ように、論理を整えないといけないからです。
自分の「言いたいこと」に即したいからといって、言語がレベル1に寄りすぎてしまうと、他人にはわからない、ということになってしまいます。
あらためて、言語化の難しさ
言語化に悩んでいる人は、もしかすると、まずレベル1の段階をトレーニングするといいのかもしれません。レベル1は、自分内部と外部との間に、まず「言語」という通路を作ってあげることだからです。言葉にする癖をつけると言うか。
その上で、レベル2は、レベル1で出てきた言葉を、他人に伝えるために整えるものですが、前提として、この時点で、もともと「伝えたいこと」として感じていた状態からは、情報量が大きく減ってしまいます。
なので、何を残し、何を捨てるのか、この判断が、レベル2の言語化では、非常に難しいのです。
これは上手・下手、という話を超えて、トレーニングの領域になる気がします。そもそもが難しいものなので、「言語化が苦手だ」という人がいたとしても、過度にコンプレックスを持つ必要はないと思います。
言語化スキルが注目され、自分の経験からも、何かというと「言葉を使って伝える」という機会が増えているような気がしています。正確に言うと、「あなたは何を考えているのか」という「説明責任」を果たさなくてはいけない機会が増えているように感じます。
前述のエントリーにあるトレーニングとは、このレベル2のトレーニングであるのだと、あらためて気が付きました。よければ参考にしてみてください。