鎮静剤としての本(1)|「裏返しの自伝」

私にはかすかな鬱の傾向があって、悩まされている。
ときどき頭がおかしくなりそうになる。いちど頭が混乱すると、
何も考えられない。
自分がひどく無価値に思えるし
(実際そうなのだとしても)わざわざそう感じなければいけない
理由は何もない。本当に辛い時間だ。嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
そんなときは私は本をすがるように読む。
私もまた、多くの同じような経験をする人と同じように、
「鬱の鎮静剤としての本」を持っている。


友人からもらった梅棹忠夫の「裏返しの自伝」は
「鎮静剤」としてかなり効用があるのでおすすめだ。

裏がえしの自伝 (中公文庫)
梅棹 忠夫
中央公論新社 (2011-04-23)
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梅棹忠夫といえば、
国立民族学博物館の初代館長であり、
「情報の文明学」で情報産業の未来を予見し、
「知的生産の技術」で、「カード式整理法」の大ブームを巻き起こした
「知の巨人」として知られている。
「裏返しの自伝」は、そんな梅棹先生が今までの人生を
「自分は○○にはとうとうなれなかった」という視点で振り返る自伝だ。
わたしは大工
わたしは極地探検家
わたしは芸術家
わたしは映画製作者
わたしはスポーツマン
わたしはプレイボーイ
と、そうそうたる目次が並ぶが、そのすべてに(・・・になれなかった)
と補足して読んでくれ、とある。
確かに梅棹先生は、それぞれの道の「プロ」には
ならなかったかもしれないが、
それぞれを器用に、楽しく、あまりにトントンこなすものだから、
読んでいる私は、自分が先生と比べて(比べるのもおこがましいが)
「なんとつまらない人生を送っていることよ!!」
と、ことの大きさに思い至り、恐れおののく。
しかし、悪い気は全然しない。梅棹先生の文体は、
劣等感を想起させない。読んでいて落ち着く。心が弾みさえする。
「うまくやる人の頭の中をのぞく」楽しさがある。

もうひとつ欠かせないものは砥石であった。これは、目のあらいのと、
かたくてなめらかな仕あげ用のと、ふたつあった。カンナやノミを
とぐのはなかなかむつかしいのだが、私はかなり練習して、
じゅうぶん実用になっていた。さすがにノコギリの目たてにまでは
手がおよばず、これは専門の職人にだした。当時はまだ、
ノコギリの目たて屋というような職業が存立しえていたのであった。

(わたしは大工)

本書の執筆時期は、ちょうど先生が失明された頃と重なり、
後半は口述筆記で書かれたようだが、この立て板に水というか、
クリアな思考を読んでいると、頭がすーっと晴れる気がするのだ。
漢字の送り仮名の、ひらがなの分量の多いのもいい。
読みやすさ、わかりやすさに徹した文章の素晴らしさよ。
鬱の鎮静剤として、私にとって本書は確かに効能がある。

-世界の片隅から(よもやま話)