ただの失敗者で終わらないために、ONCE AGAINするために、欲望に飢える。

こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。

先日、失敗について書いた「仕事における失敗には、2パターンある」というエントリーですが、今読み返してみるとわかりにくく、文章力のなさが露呈して恥ずかしいことになっていました。

穴があったら入りそうになったところ、私が言いたかったことを村上龍先生がエッセイ集の中で端的に書いていらっしゃったので、紹介させていただこうと思います。

無趣味のすすめ
無趣味のすすめ

posted with amazlet at 15.08.26
村上龍
幻冬舎
売り上げランキング: 225,360

失敗について村上龍先生が言っていること

私は「なぜかうまくいかない」「なぜか怒られる」という失敗は、どうしようもないからあきらめよう。そのかわり「自分のしたいことをしてうまくいかなかった」という失敗なら健康的だよね、と書きました。

しかし村上龍先生はそんな生ぬるい言い方はしていません。以下、エッセイ集「無趣味のすすめ」からの引用です。

成功者の「輝ける失敗」と、罵られるだけで終わる「ただの失敗」の間には、埋めようのない溝がある。

(略)

非常に多くの人が仕事や人生で失敗する。そしてほとんどはリカバリーできず、失敗者として生涯を送る。失敗を糧として成功する人は本当にごくわずかなのだ。

(略)

仕事上のほとんどの失敗は「単なるミス」で、準備不足と無能が露わになり、信頼が崩れ叱責されるだけだ。得るものは何もない。

多くの人にとって失敗は、リカバリ不可能なただの失敗であり、失敗以前のただのミスである、無能の表れである。と村上龍先生は書きます。ストレートです。非常に辛い真実です。

何かを得ることができるのは、挑戦する価値があることに全力で取り組んだが知識や経験や情報が不足していて失敗した、という場合だけだ。

(略)

そこから何かを得ることができる失敗をするためには、挑戦できる何かと出会うことが前提となる。条件は「飢え」だ。出会うことに飢えていなければ、おそらくそれが運命の出会いだと気づかないまま、すれ違って終わってしまうだろう。

(村上龍「無趣味のすすめ」)

大事なのは飢えと欲望

私の書いたエントリーとスイングしているなあ、と感じるのは、「飢え」という表現です。「飢え」はどこから来るかというと、自身の欲望から来ます。つまり「自分が何をしたいか?」という切実な欲求から来ます。

私も30代の半ばにさしかかり、そのせいなのかもしれませんが、可能性の幅みたいなものが狭まって、今まで自分がやってきたこと、の先にしか人生はない、という当たり前の事実に戦慄しています。

さて、この先、どういう道を歩もうか、どういう道を歩んだら、人生がムダではなかったと一息つける人生になるだろうか。どういう道を歩んだら、親として子どもに誇れる人生になるだろうか?

そんな自問自答を幾度となく繰り返しているうち、「ただの失敗者としてリカバリ不可能な人生」に片足をズブズブと突っ込んでいる自分に気がつくのでした。

Climbing Journal Mount Rinjani package
Climbing Journal Mount Rinjani package / Trekking Rinjani

考えるだに、この先、ただの失敗者で終わらないためには「自分が何をやりたいのか?」を常に意識し、それを行動の中心にしていくしかないなあ、と思うわけでありました。

村上龍先生のエッセイは、読むと自分が無能な人間の代表格に思えてきて、背筋が伸びるとともに、俺はもうダメだあ!死ぬしかなイイイイ!といっとき絶望し、何とかするしかない!と行動のモチベーションにする劇薬としてオススメです。

最新作「オールド・テロリスト」も面白かったです。

-思考のガジェット(ライフハック的な話)