矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。

隣の芝生は青いものである


「ここで働きたいな!」
と思わせる会社が、世の中にはある。
信じられない人もいるかもしれないが、
世の中には、心底ほれ込んでしまうような
会社があるのだ。 

ただ、見過ごせない現実として、 
「いいな!」
と自分が思う会社で、
すでに働いている人がいる。

就職活動の時には、その現実がつらかった。

会社説明会なんかで、受付をしてくれる
若い社員に対して
「僕はあなたのポジションに立ちたいんだ!」
と、何度思ったことか知れない。

彼らは、何食わぬ顔をして、
それはつまり、その会社にいることが、
彼らにとっての日常だから、なのだけれど、
本当に何食わぬ顔で、時にはつまらなそうに、
働いている。

代わってくれ!代わってくれ!
と、心の中で叫んだ。

今になって思うのだけれど、
会社は、外から見るのと、中から見るのでは、
全然ちがう。

自分が会社の一員となった立場から物事を見ると、
外から見ればどんなに憧れの職場であっても、
アラが目立ったり、嫌な奴がいたり、会社の限界が
見えてしまったりする。
(もちろん、逆もまた、しかりである)

隣の芝生はどうしたって、青いものなんじゃないだろうか。

自分の選択よりも、他人の選択が『正解』に
思えてしまうのは、仕方のないことだと思う。

結局は、他人を見るときには、
外からの視点でしか、見ていないのだから。


どうせ隣の芝生が青いものならば、
(そして自分の芝生が隣と較べて劣っているならば)
大切なのは、自分が選択したことの『正解・不正解』
ではなくて、
『選択することそのもの』
なのではないだろうか。

ま、そんなこと当たり前だろ、
という声が、聞こえてきそうだけれど。