アウェーの戦い
僕は「アウェーの戦い」が好きだ。
サッカーの話ではない。
でも、どこの世界にでも
「アウェー」という概念はある。
味方がいない、あるいは
敵の方が多い、という環境。
例えば音楽バンドのライブなら、
自分たちのバンドのお客がほとんど
いない、というような状況だ。
そういうときにはまず、
自分たちが何者であるかを
説明するところから始める。
自分たちの曲を聴いたこともなく、
あるいは興味も持ってないような
人たちに向けて、メッセージを
何とか伝えようと
悪戦苦闘しなくてはいけない。
一見キツそうだが、逆はどうだろう。
自分たちについて説明する必要もなく
ツーと言えばカーで、
何をやっても許され、
何をやっても「イエー」で
盛り上がるような、そんな状況は
どんなもんだろうか?
そんな場所は自分にはないけれど、
もしあったらつまらないだろう。
「アウェー」の中で、もがくのでなければ
表現の必要もなくなるし、
必要から生まれない表現は輝かない。
ツーと言えばカー、という
ある種の約束事が成立している世界では
コミュニケーションの必要は死んでいる。
コミュニケーションへの希求がなければ
出てくる表現は死んだものになる・・・。
音楽に限らず、死んだ表現は
社会の中にあふれているけれど、
批判ばかりしていても仕方がない。
「お前はどうする?」
という問いを突きつけられるだけだ。
「アウェー」を持てているかどうか?
外が見えているかどうか?
世界中にファンを持っているような
モンスターバンドであっても、
「アウェー」の存在を見失ってしまえば
新しい音楽を作り出すことはできなくなって
しまうに違いない、と思う。
***
「ヤトミックカフェは世界の片隅から
お送りしています」
などという言い方を、僕はよくする。
つまり、世界の片隅においては、
世界全てが「アウェー」になる。
僕が「アウェーでの戦い」が好きなのは、
コミュニケーションの必要に迫られて
ドタバタ、ジタバタしながら、
いつも何かを生み出していきたいと
思っているからだ。
エラソーなことを言っているなあ、
ということは、十分わかっておりまするが・・・。