笑われて、笑われて、強くなる。


会社の日めくりカレンダーには、
毎日、格言めいた言葉が書かれている。

ときどき、その言葉が、
発された文脈や本来の意味から離れたところで、
僕をとらえることがある。

例えば今日など。

「笑われて、笑われて、強くなる」

という太宰治の言葉が載っていた。

・・・
「笑われて、笑われて、強くなる」
とは、いったい、どういう意味なのだろう。

ここでいう「笑われる」、というのは
暖かい笑いでなく、どちらかというと、
嘲笑のたぐいの、マイナスの笑いのほうだろう、
と僕は想像する。

本人は真面目にやっているのだが、
どうもズレているんだよなあ、というような・・・。

笑われて、笑われて。

そこまではいいが、「強くなる」とは何だろう?

「人に笑われないような、立派な人間になる」
という意味だろうか?

ちがうだろう。

立派な人間だ、ということを決めるのは
自分でなく、他人が勝手にやることなのだから
「立派な人間になる」
なんていう目標は、そもそも立てられない。

では
「馬鹿にされなくなる」
ということを目指して努力すれば、強くなれるのか?

周りから浮かないように空気を読んで、
人に気を遣い、言いたいことは言わず
無難に過ごすことが?

・・・
結局のところ、
「笑われなくなる」ことは、ない、のだ。

他人から笑われる人は、ずっと笑われつづける。

ある日突然、あるいは、次第にでも
人から笑われなくなり、その上、尊敬さえ集めてしまう
そんな逆転ホームランは
人生の中では、起こることは滅多にない。

笑われる人は、ずっと、笑われつづける。

それを救いようがない、と形容するなら
まさしく、救いようがないし、身もふたもない。

・・・
でも、それはそれとして、
とりあえずこれは、てめえの人生なんだから
仕方がないことは、とっととあきらめて、
ぼちぼちやっていくことにしよう。

そんな態度だか、覚悟だか、思いを
持つにいたるということが、
「強くなる」ということじゃないか?


そこには、一抹の悲哀があるが、
悲哀なく生きていくなんていうことが、
できることはないのだから。