矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。


心は軽やか。


先日『カンブリア宮殿』を見ていたら、
「社会起業家」ということが特集されていた。
世界の様々な問題を、ビジネスで解決しようと
いう人たちのことだ。

その中にカンボジアの児童買春を食止めるため
活動している女性がいた。

番組の司会である村上龍さんが
「これは意地悪な質問ですが」
と断ったうえで

「なぜカンボジアなんですか?
日本にも困っている人はいるでしょう」

ということを聞いた。

「確かにそうかもしれません。
しかし国境ということを外してしまえば、
私が優先したいのは、カンボジアの子供たちなんです」

村上龍さんは、その答えを聞いた後で
「いや、それでいいんです。
何をするかはまったく自由なんです。
ただ、そういうことを言う人もいると思って
聞いてみたんです」
と言った。

確かに、何を目的として活動するか、
などということは、各自の自由なのだ。
誰かに、とやかく言われる筋合いはない。

でも、その手の
「自由を失わせる言葉」
は、大きな拘束力を持ってしまう。

「お前がそういうくだらないテレビを
見ているあいだにも
世界には飢えて死ぬ人がいるんだぞ。
どうして平気に笑っていられるんだ」


そういう、揚げ足取りのようなことを
言う人がいるでしょう。

そういうことを言われたとき、
どうしていいのかわからない。

反論すれば、泥沼の争いになるだろう。
それにロジックとしては
相手の方が正しいように思われる。
しかし、腹は立つ。

対処としては、もはや沈黙しかない!

さらに怖いのは
そういうことを言われたとき
自分でも相手のロジックに組み敷かれて
「俺が悪いのかもしれない・・・」
と罪悪感を持ってしまうことだ。

その度に自由がどんどん失われていく。

・・・
村上龍さんが
「それは個人の自由なんですから」
と言ったとき、心が軽やかになった。

あ、この人は
「自由であることは、良いことだ」
ということを当たり前に思って、
生きているんだ!
と思った。

そういう人は、相手の心も軽くする。

自由を失わないためには
「自由であることは、良いことだ」
ということを
自分の価値観の、前提に据えたらいい。

地球は太陽の周りを回っている、というくらいの
「当たり前なこと」として、強く、思うことができれば。

いろいろな、複雑で難しい問題はある。
でも、まずは、心が軽やかでなければ
世界はきっと、少しずつ、生きにくくなっていく。