矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。


「ごっこ遊び」 を越えるとき


矢沢永吉さんが
ミュージシャンになるために
広島から上京するとき、

走り出す夜行列車の中で
「おいおい、冗談はもう
これくらいにしておこうよ」
と思ったという。

・・・
夢をいざ現実にしようとする
その第一歩は、怖い。

頭の中で野望を抱いているのは
いわば
「ごっこ遊び」
みたいなものだ。

スーパースターになってやろう。
チヤホヤされてやろう。
あるいは
あの娘と仲良くなりたい。

「ごっこ遊び」は楽しい。
イメージの中では、
自分はなりたいようになれるし
やりたいようにできる。

でも
「ごっこ遊び」から、一歩踏み出して
イメージを現実にしようとする
その瞬間。

何だか自分がとんでもないことを
しでかしたしまったような、
カラダの芯がずれてしまうような、
底知れない恐怖が、カラダを包む。

・・・
子供のころ
折り紙で作った、ちゃちな容れものを
一つ10円で、町行く人に売ろうと思った。

こんなものは売れるわけがない、
所詮は子供の「ごっこ遊び」なんだと
子供心にもわかっていた。

アホである。
しかしそれでもやってみようと思った。

「ひとついりませんか。10円です」

と、声を出した瞬間、カラダがぞくぞくして
「やってもうたー!」
というような気持ちになったのを
鮮明に覚えている。
(当然、ひとつも売れなかった)

夢や野望を、手に取れる現実に
変換しようとするときには

「ごっこ遊び」から現実への
最初の一歩が必ずどこかにある。

その一歩を
軽々とまたいでいく人もいれば、
ずうっと飛べずにいる人もいる。
(僕はどちらかといえば、後者だ)

理想と現実のギャップに悩み、
いつまでもくすぶっているような人は
まず、あの恐怖に慣れてしまうのが
いいんだろうなと思う。

まあ、実際
頭の中だけに留めておいたほうが
いいようなことも、ありますが・・・