与えよ。さらば、
音楽をつづけている友人がいて、
彼はいろいろなバンドから呼ばれている。
あるときは、助っ人として演奏し、
あるときは、主メンバーとして演奏する。
めざましい活躍ぶりも聞いた。
どうして彼は
「求められる」のか?
音楽に限らず、
「求められる」人
というのがいるものだ。
ぜひ一緒に仕事をやらないか、
と言われる人もいるだろう。
草野球のメンバーとして、よく呼ばれる
という人もいるだろう。
合コンには必ず誘われる人もいる。
あるいは、ただ単に、
「暇だから会わないか」
とよく声をかけられる人もいる。
「求められる人」と、
あまりそうでない人の違いは
いったい何なのだろうか?
その秘密に迫りたいな
(俺も求められる人になりたい)
と考えて、あるとき、気がついたのだ。
「与えられるか、どうか」
じゃないか?
僕は、先ほどの友人のように
音楽演奏の助っ人として呼ばれることは
まずないだろう。
さらに言えば、
僕は草野球にも、合コンにも呼ばれない。
つまり、その分野には
僕が与えられるものは、何もないのだ。
友人がやっているような音楽とは
あまり縁がないし
野球はできないし、合コンは・・・
(なぜ呼ばれないか推し量ってください)
そういう分野には、あまり接近することも
ないから、ますます求められない。
・・・
与えられるか、どうか。
自分が与えられるなら
人からも、求められる。
これは仕事にも言えると思うし、
人間関係にも、おお、男女関係にも
当てはまりそうだなあ。
それに、与えるものは
特殊技能でなくても、いいのじゃないか。
「その人が、その人である」というだけで
ただそこにいるだけで、
すでに与えていることだって、大いにある。
親子関係や、恋人関係や、友人関係では
「その人がその人として、そこにいる」
ということが、すごく大切なんだと思う。
・・・
面倒なことも考えられる。
好きなこと、やりたいことが
即ち「自分の与えられるもの」かというと
そうでもない場合もあるだろう。
自分では気がつかないところ、
あるいは、自分としては不本意な分野で
何かを与えている場合もある。
・・・
人に何かを求めるなら、
あるいは、人から求められたいなら
とにかくまずは、
自分から「与える」ことだろう。
それがきっと、
ギブとテイクのキックスタートじゃないか?
新人は、机を拭くところから始めろ。
とはよく言ったものだ。
まずは、労働力を提供すること。
・・・
じゃあ、
そんなエラソーなことを言っている
当の僕は、何が与えられるのか?
考えてみたけれど
正直なところ、よくわからない。