矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。


お金だけでなく


今から話すことは思いつきです。
全然、考えが固まってない。
それを担保して、お聞きください。

***

働くことや、生きることについて
僕はいま、精神的な危機に
おちいっているようだ。

自分はこの先
どうやって生きていくんだろう?

ということが急に見えなくなった。

いや、今までも
見えていたわけはないのだけれど

そういう疑問が、急に
クロースアップされてきてしまった。

青くさいことじゃないか。
でも、実際に自分がそれを喰らうと
なかなかにダメージがある。

そこで、ずっと考えていて
ふと思ったことは

(ここからが思いつきです。)

「どう生きていくか?」
という悩みの中に、大きな割合で

「自分はどういう商品価値を持てるか?」
という資本主義的な悩み

知らず知らずのうちに入っているぞ!

ということに気がついたのである。

あらゆることを商品価値、貨幣価値に
換算するのが資本主義だとすると、

自分を社会とどう関わらせていくか?
という問題を考えるときには
必然的に
『自分を商品価値としてどう売り込むか?』
という問いが立ってしまう。

ある人は、
自分の労働力を売ろうと思うだろう。
またある人は
自分の芸術的才能を、売ろうと思うだろう。

とにかく
自分とお金を、どうマッチングさせていくか?

という問いが
『どう生きていくか?』
という問いの中に入り込んでいるのではないか。

もちろん
世の中には資本主義には還元できない
価値観も存在する。
いろいろな豊かな価値観や世界が存在する。

人生をどう豊かにするか、
ということの選択肢は、たくさんあるのだろう。

自分とお金との関係に気を取られて
他の選択肢の豊かさを見逃している、
ということがあるんじゃないか。

第38跳躍:世界観を、外に出す
で、僕は書いたのだけれど
案外、人というのは、
青臭かったり、泥臭かったりすることを
求めて生きている、
そんなような気がしてならない。