世界観を、外に出す
ここ数ヶ月のあいだ、
『チームを組みたいな』
と、ことある度に思うようになっていた。
チームを組まないと実現できないことがある、
というのが、表向きの理由だった。
例えば
「エコバッグを作る」というプロジェクト、
これは一人ではできないな、と思っているので
ずっと止まっている。
昨年、Tシャツを作ったが、あれも
チームだからこそ、できたことだった。
でも、そういう表向きの理由の裏で。
『寂しい』
という気持ちが僕の中にあった。
一人は嫌だ、
と切実に思っている自分がいた。
どうしてなんだろうか?
そんな気持ちはどこからやってきたんだろうか?
約3年のあいだ、ヤトミックカフェを
一人でやってきた。
多くの人たちの協力を得ながらだが、
僕は一人でコンテンツを作り、
自分の責任において、発信をしてきた。
一人であることには、慣れているはずだったのに。
どうしてここに来て、一人は寂しいだなんて
感じるようになったのだろう?
自分の寂しさを裏付けるように、
僕はサイトへのアクセス数を
気にするようになっていた。
その数字に、
一喜一憂するようになっていた。
多ければ嬉しい。
少ないと、目も当てられないほど憔悴する。
以前なら
ここまで数字を気にしなかったと思う。
人が喜ぶコンテンツを提供できてるか?
(できてない、できてない)
自己満足に浸っているだけなのではないか?
(そうそう。結局ね)
僕は無意味なことをしているんじゃないか!?
そんな疑問が、頭の中に沈殿した。
何を書いても無駄で、
人の心に届く手前で、どんどん言葉は干上がって、
死んでしまうような気がした。
手が重くなる。
パソコンの前で、書く前から
無気力に襲われた。
誰も喜ばない、それ以前に、
見てももらえない、
そんなものを書いて、
何の意味があるんだ?
どうして僕は
こんなにつらい思いをしているんだろう?
やめてしまえばいい。
人に自慢できるような苦しみじゃない。
自分で勝手にやっていることなのだ。
人から頼まれたことではない。
苦しむも、逃げるも、野垂れ死ぬも、
全部、お前が一人で引き受ければいい。
自分は何をやりたいのだろう?
今こそ、
しっかりと言葉にすべきだと思った。
それをしっかりと土台に据えなければ、
きっと心が折れてしまう。
・・・
ちょうど、その答えを出そうと悩んでいたとき
『
おとなの進路教室。
』
という本を読んだ。
この本の著者の山田ズーニーさんは
ほぼ日刊イトイ新聞で、7年近くコラムを
連載している。
自分の思いを人に『伝える』とはどういうことか。
どうすれば『伝わる』か、について
深く考えさせてくれる。
『おとなの進路教室。』の中に、
こんなくだりがある。
自分の中に育った「世界観」の実現に向けて、
時間がかかっても、一歩一歩、歩を進めているとき、
人は、やりたいことがやれている充実感がある。
自分の望む職業に就けたとしても、
その職業を通じて、
自分の思い描く世界観が実現できないなら、
本当に『望み』は実現されたと言えるのか?
と、この本は問うている。
『世界観を実現する』
この言葉に衝撃を受けた。
確かにそうだ。
こんな青くさいことを求めて、
人はもがき苦しむのだ。
自分が大事にしているものを、
大事にしたまま生きる、生きる道を探す
とも言い換えられるかもしれない。
僕は何のために、苦しい思いをしながら
サイトを運営しているのか。
何のために書いているのか。
僕は、自分の世界観を、外に出したいのだ。
自分の思い描いているものを、
外に出して表現したいのだ。
・・・
人に喜んでもらうことは重要だ。
けれども、優先順位を間違えてはいけない。
アクセス数は、一つの指標として価値がある。
でも、それは優先順位の一位ではない。
僕が求めているのは、
自分の世界観は、
しっかりと外に出されているか?
ということのはずだ。
チームになりたい、一人は嫌だ、
と切実に思っていたとき、僕は、
アクセス数という評価に、
自分を委ねてしまっていたと思う。
たくさんの人に読んでもらえれば、
自分はやりたいことが実現できるのだ、
と、勘違いをしていたと思う。
数字は、確かで安心な気がする。
でも、
それを得ることを最優先にしてしまったら
自分の大切にしているものを、
手放すことになったに違いない。
こんなことをして何になるんだ、
という迷いの時期は、確かにあった。
それどころか、
今でもその中にいるのかもしれない。
でもとにかく。とにかくだ。
僕は、自分の表現したいものに
忠実である勇気を持ちたいと思う。
すごく不確かで、怖いけれど、
そこから逃げて、柱を外に求めることは
全てを捨ててしまうことと同じだと思う。
着実に
ヤトミックカフェは次のステージに
移ってきていると感じる。
ものすごくものすごく小さな階段だけれど、
確かに僕は上っている。
手ごたえとして、それを感じる。
・・・
これを読んでくれている、あなたのお陰だと
理屈じゃなくて、心からそう思う。
ありがとう。