矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。

【セイギ】は怖いものだ


あのさあ・・・
・・・とナレナレシイ言葉で話しかけちゃいます。

あのさあ・・・仔猫を殺してますって
エッセイに書いた作家がいるでしょ。

タヒチ在住の方なんだけれど、
自分の飼い猫が仔猫を生むと、
飼えないでいると、野良猫になってしまう。
だから、
社会に対する責任として、
やむなく殺すということを選択したんだという。

それに対して、あーだこーだと
【セイギ】と【モラル】の立場から
批判する人がいっぱいいる。

ああいう空気が僕は嫌なんだよね。

別に猫殺しがいいとか悪いとかじゃなくてね。

そりゃあ猫を殺すっていうのは嫌なことだ。
責任の取り方っていうのはそういうことじゃ
ないのでは・・・?とも思います。

だけれど、そんなに簡単に、
「あいつは悪いことをした」
って、シャッターを降ろしてしまっていいのかね。
あまりにも早すぎる思考停止じゃないの?

自分が理解できないことは、すぐにもう
シャットアウト、考えないで断罪しちゃう。
うーん。

・・・・
「正義は我にあり!」って思っている人って、
実のところ僕は怖いんだ。

だって、正義がどうして生まれるかって、
「悪者」を作るからだし、
セイギは「悪者」を無条件にやっつけてもいいんだ、
「悪者」は死ぬべきなんだって、
目を輝かせて言うわけ。

【セイギ】の人たちは、「善」VS「悪」という
ありもしない、超単純な構図を信じて疑わない
みたいなんだな。

話がでかくなっちゃうかもしれませんけど、
アメリカとイラクを見てごらんよ。
古くはナチスドイツを見てごらんよ。

あの大統領や総統の顔つきだよ。
キラキラしてるでしょう。

えーとつまり、何が言いたいのか。

いかにもな悲痛な顔をしてですね、
「あってはならないことだ」
とか言う人を、僕は信用しないよう努めている。

そういうのってウサンくさい。

あってはならないことだと言ってるけれど、
もう実際あるんだし、猫は殺されているんだよ。
猫だけじゃない。

そういう悲しくて不愉快なことがらと
顔を突き合せるのはすごく嫌なことだけれど、

だからといって、「猫殺し」を簡単に、
断罪するようなことのほうに、僕は徹底的に
嫌悪感を覚える。

いつ自分が断罪されるかわからない。
モラルなんてすぐ変わるんだし、【セイギ】の人たちは
いつも悪者にできそうな奴を探しているんだからだ。

おっとろしいよ。小便垂れちゃうね。