働くってなんだ。
この疑問を、ずうっと考えていた。。

仕事をしている人も、していない人も
してるかしてないかわからない人も

ちょっと考えてみたり、しませんか。
働くってなんだ?


伊田さんと 「研究者」 について。

伊田さんは、進路を選ぶにあたって、就職ではなく
学問をつづける道を選択しました。
いわゆる 「社会人」 と、学問を志した人では
社会との関わりかたはどう異なるのでしょうか?


第4回:どうして後ろめたいんだろう?

伊田
「所詮、研究なんか趣味じゃないか」
と言われたら、確かに
好きでやっていることだから
当たっているかなあ、
とも思うし
好きじゃなくちゃ、やれないし。

研究を仕事と言いきることの難しさ
というか。
僕はまだ、研究を仕事としてどう
言えばいいのか、わからないですね。

ただ
国に研究が認められると
お金がもらえるということがあります。
僕は今、博士後期課程の院生であると同時に
「特別研究員」
という肩書きも持っています。
これはれっきとした「職歴」になるので
履歴書にも書けます。

ただ、それで何をしてるかというと
これも説明に困って・・・。
社会人からすると、
何にもやってないように見えちゃう。

趣味の研究をやってるのに、
税金からお金をもらってるなんて
どういうことだ


ってよく言われるんですよ。


矢透 うーん、なるほど。


伊田 僕の研究が、お金を出すに値すると
認められたわけで
誇りを持っていいはずなんだけど、
でも何か後ろめたさがあるんですよね。


矢透 それがやっぱり不思議というか・・・。
何でなのかなあ。
でも、なんというか、
社会人って、ずるいじゃないですか。


伊田 ずるいって、どういうこと?


矢透 つまり、
わかりやすいじゃないですか。

仕事をしてる、お金をもらってる、で
胸を張れるじゃないですか。
それは・・・
「何かずるい」
という気がしたんですよ。

社会との関わり方について、語るのに
苦労する、という状況にはないわけで。


伊田 単にバイトをしながら研究をやっています
というとみんな納得するんでしょう。
それは
「バイトしながら音楽やってます」
っていうのに近い。



矢透 近いね。
それだとわかりやすい。


伊田 でも僕の場合はそうじゃなくて、
国からお金をもらっているわけです。
もちろん、それなりの倍率の中で
研究を認められたわけだから
誇りに思うけど、それは
「選ばれた」
という意味での誇りであって、
何かしらを社会に還元している、
という意味の誇りではないです。

それを奨学金と言ってしまえば
まだわかりやすいんだけど、給料として
きちんと税金も引かれているし・・・


矢透 今の社会ではとにかく
「お金を稼いでいる」
というのが一番の基準なんですね。

例えば、
「おれ競馬で暮らしてんだよ」
とか
「パチプロやってんだ」
とかいうと、
お前しっかりしろよ、とか
何とか言われるだろうけど、
何か受け入れられる気がする。

でも
「研究で給料をもらっている」
という
「すぐには利益を生み出さないこと」
をしているのにお金をもらっている
ということに、わかりにくさが生じる

のはなぜなんだろう?
というのが気になりましたね。


伊田 研究が
労働として認められていない
からじゃないかな?


矢透 じゃあそんなものは不要だっていう
話になるかというと、
そうではないですよね。


次回
第5回:言葉が、ない
につづきます!