同じ失敗を繰り返さないための、失敗の検証手順を紹介します(ただし簡易版)
こんにちは。ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
大晦日にこれを書いておりますが、2015年はほとんどブログが更新できず反省しきりです。
今回はまたしても「失敗の検証」に関するエントリーです(思えばブログの更新頻度に関しても検証すべきかもしれません)。
失敗の検証は大事です。というのも、検証をしないと、同じ失敗を繰り返す可能性が高くなるからです。同じ失敗を繰り返すと、ちょっと嫌な気持ちになります。
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なので、失敗の検証は大事なのですが、検索しても、あまり「失敗の検証の手順」ってあまりないのですね(畑村洋太郎先生の「失敗学」くらいです)。
そこで、私の考えた簡易的な失敗の検証手順をご紹介します。私の場合は、この手順にスマートノートを組み合わせて、失敗の検証を行っております。
個人的な話、2015年は失敗続きでけっこう凹みました
今年は「失敗」について考えた年でした。というのも、私が2015年の前半にかけて、明確に「失敗」続きだったからです。主に仕事においてですが、失敗が重なり、ちょっと鬱っぽくなってしまうこともありました。
主な失敗は、自分がディレクターを務めたプロジェクトの遅延と、それによって引き起こされた工数肥大、そしてそれに伴う赤字の垂れ流し、クライアントと社内からの責め苦となります。具体的な数字を出すのは憚られますが、ちょっと困った感じになりました。本当に反省しております。
「しかし失敗を繰り返さないぞ!」と決めたところで、単に気持ちの問題になってしまっては効果がありません。なるべく、次に生かせる形で検証をしたいものです。
検証の結果、失敗の原因が、自分ではどうにもならない「環境が理
理由だった」ということもありますし、逆もまたしかりです。たまに、原因のない、気分の問題、のような、エラー的な失敗もあるようです。しかしそれも含めて検証は大事だと思います。
手順?:自分が何に「失敗」したのか?を定義する
まずは、「自分が何に失敗したか?」を考えていきましょう。いわば失敗の定義です。
この定義がないと対処の考えようがありません。単に気分的に「失敗した」という凹みがあるだけで、酒を飲んで忘れよう!という対処になってしまう可能性もあります。
この定義を考える過程で、「気持ちは落ち込んでいるけれど、客観的に見れば大したことではなかった」ということもわかったりします。
さて、あなたの言う「失敗」とは?なんでしょうか?
- 目標を達成できなかったことか?
- 達成したけれど、思った通りの結果が出なかったことか?
- 数字が落ち込んだことか?
- 勝負に負けたことか?
- プロジェクトが頓挫したことか?
ある程度、言葉になりましたでしょうか?このことによって、「自分が次に何を繰り返してはいけないか」を明確にします。
手順?:失敗の原因を挙げ、選り分ける
失敗が定義されたら、それは何によって起こったのか?を考えていきます。
大きくわけて、「環境(自分ではどうにもならないこと)」か?、あるいは「自分が原因」か?をまず考えていきます。
当然、原因がその混合であることは、よくあることです。考えられる原因を思いついたら、一つ一つ「環境」か「自分」かを選り分けていきましょう。
手順?:次に向けて打てる手を考える
判明した原因のうち、次に向けて手が打てるものが何か?を考えていきます。原因の数だけ打てる手があるわけですが、国家レベルの外交交渉でもあるまいし、欲張ってはいけません。
打てる手は、もっとも効果が高そうなものか、できそうなもの、1〜2個でOKです。
自分以外が原因の場合、例えば人間関係が理由なのであれば、チーム編成を変えるとか、仕事環境が原因っぽいのであれば、環境そのものを変えるとか、が考えられます。
また「自分が原因である場合」であっても、リカバリが難しい場合もあるでしょう。つまり、「性格」とか「スキル・経験不足」が原因であるなら、簡単には克服できないことになります。
その場合、短いターンで同様のシチュエーションがやってくる場合、次も同じ失敗を繰り返してしまう可能性が割りと高いので、「前回よりも失敗のレベルを下げる」という消極的かつ現実的な目標を立てる場合もあります(失敗に寛容になることも重要ですよね・・・)。
手順?:なぜ失敗を検証するのか?目的をあらためて考える
最後に、あなたが失敗を検証する目的を考えましょう。
「何を言っているの?次に同じ失敗を繰り返さないためだって言ったでしょう!?」
それはそうですが、その動機が人によって違うと思うからです。大雑把に分類すると「結果を重視するか」「プロセスを重視するか」ということです。
結果を重んじる人は、「失敗=負け」と考えていて、失敗を検証する目的は、「次に勝つため」だと考えています。
プロセスを重んじる人は、「失敗=自分の立てた仮説の誤りの判明」と考えていて、失敗を検証することは、「次に立てる仮説の有効性を高めるため」だと考えています。
結果を重んじる人は「次は負けない」ことを目指し、プロセスを重んじる人は「次はもっと有効な仮説を立てよう」と考えます。
これは、ストレングスファインダーでいう「そのひと個人の資質」によるものです。どちらが上ということもなく、単にあなたはどちらか?ということを意識することで、より失敗の検証の動機が高まる、ということです。
まとめ
2015年は「失敗」について考えた年でした。「失敗を挽回する」とひとことで言いますが、なかなか奥が深いのです。
そもそも、「挽回できる」というだけで幸運です。
なかなかリカバリが難しかったり、もう取り返しがつかなかったり・・・。迷惑をかけた人に恩を報いることができないままになったり、リカバリのチャンスを与えられなかったり、「そもそも失敗したらゲームオーバー」という、検証不可能な失敗もあります。
それもまた人生の不条理、ということかもしれませんが、検証が可能な失敗に関しては、適切な検証をして、楽しく「トライ・アンド・エラー」を繰り返していく・・・ということが大事なのかもしれません。あとは、やはりある程度、失敗に寛容になることでしょうか・・・。
今年、私の失敗でご迷惑をかけた皆さま、申し訳ありません。次はできるだけ気を付けます。2016年もどうぞよろしくお願いいたします。
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