死蔵のエッセイ(9)|げにサウナとは人生なりき

サウナに入るのが習慣になって10年ほどになる。週に1度、少ないときでも月に2回ほどはサウナに入っている。本当はもう少し頻度を増やしたいけれど、サウナに入るときの「特別感」を残すためにはこれくらいがちょうどいいと思う。

やはり私にとってサウナとは「特別な場所」だ。サウナに入り、水風呂に入り、休憩する。そのルーティンを繰り返すと頭がすっきりするし、気分が前向きになってくる。

「一人になってじっくりと気分を整える」。私がサウナに求めるものといえば結局のところそれで、それが達成できれば別にサウナでなくても良いのだ。

ただ、10年近くサウナに通い、入れば入るほど「奥が深い」と感じるのもまた事実で、その奥の深さを追求するためにサウナに入っていると言っても過言ではない。

私にとっての「サウナの奥の深さ」とは、体調やタイミングによって「気分のすっきり感」の得られ方が違う、ということだ。サウナというのは非常にデリケートなもので、入ればたちまち自動的に整ってしまう、というわけではない(そういう人もいるとは思うが私はそうではない)。

その日の体調や、心の余裕や、入る時間帯や、サウナの混み具合、サウナ室の温度、水風呂の温度、休憩スペースの設計など、様々な条件が変数となる。これらがうまく噛み合って「気分のすっきり感」を作り出してくれるときもあれば、まったく噛み合わないこともある。

例えば先日もサウナに入ったが、乾燥肌のせいか、かゆみが出てしまい、気分が整う前に「かゆい〜〜っ!集中できね〜!」となってしまった。そうかと思うと、また別の日にはバキバキに整い、今年の目標に関するアイデアがドバドバと出てきたりもした。

事程作用に、サウナに入ったからと言って、必ず良い効果が出ることが確約されているわけではない。だからこそたまに様々な諸条件がばっちりと合い、全身が震えるほどに整ったときの喜びはひとしおなのだ。

さて、今日はどこに行こうか、いつ行こうか、サウナにどれくらいの時間入ろうか、今日は何セット入ろうか、どれくらい休憩しようかなど・・・サウナを嗜むにおいては、実にたくさんの意思決定要素があるのである。

戦略をしっかり立ててもうまくいかないこともあれば、何も考えずに入ってもうまくいってしまうこともある。鍛錬と偶然の一期一会。まるで武道のようではないか。

自分と対話し、良いときは喜び、悪い時は潔くあきらめ、折り合いをつけていく。その意味でサウナに入るというのは、まるで私の人生のメタファーのようであり、人生に折り合いを付ける練習のようだ。

だからこそ私はサウナに入り続けていると言えるし、こんな面倒くさいことを考えているのは自分だけじゃないかという気もする。

-死蔵のエッセイ