死蔵のエッセイ(6)|ままならない髪の毛
30代後半から、髪の毛がいつの間にか薄くなってきた。そして40歳を超えて、それは「気がする」を超えて、明らかに事実として私に突きつけられた。毛髪の太さが細く、そして密度が薄くなっている。
ああ、嫌だなあと思う。生きるということは、なんと憂鬱なことだろう。ハゲ、もとい、毛髪のままならなさは、男性の根深いコンプレックスの一つだ。いや、一般化するのはやめよう。少なくとも私のコンプレックスではある。みじめで、情けなくて、恥ずかしい。
あるとき、同僚とイベントに出かけたことがあって、スマホで記念写真を撮ってもらったのだが、撮られた自分を見て驚愕した。そこには、惨めな風体でくたびれきった、明らかに「髪の薄い」おじさんがいた。
私は大いに心を揺さぶられ、育毛剤の購入を決意した。以来、育毛剤を使っているが、今のところ効果を感じられていない。効果がないのに、なかなか止めることができない。もし使うのを止めたら、ますます・・・という恐怖がある。
そしてまことしやかに言われていることは「ハゲは隔世遺伝だ」という言説だ。この言説は私の人生に呪いのように覆いかぶさっている。なぜなら、私の亡くなった祖父は二人とも晩年は髪の毛がきれいに抜けていたからだ。
私はいつか祖父のようにハゲてしまうのではないか、という恐怖は、365日・年中無休で稼働している。そのせいで、効きもしない育毛剤を止めることができない。
考えてみれば、髪の毛ほど腹立たしいものはない。筋肉は鍛えられる。肌は手入れをすることができる。しかし、髪だけは自分でコントロールすることができない。
この「ままならなさ」が私を苛立たせる。もちろん、AGA治療とか、育毛剤(私には効かないが効いている人もいる)とか、果てはかつらとか。策はなくはない。しかしいずれも確実性がないのだ。私に言わせればすべて「神頼み」の域を出ない。
いっそ「守りより攻め」で、スキンヘッドにしてしまうとか、そういう手もある。しかし、なかなか踏みきることができない。見慣れた自分の外見が変わってしまうのが嫌だ。似合わないだろうとも思うし、怖くもある。
ああ、どうして髪の毛だけがこんなにままならないのだろうか。人生のままならなさを髪の毛だけが一身に背負っているような気がする。どうしてこんなに愛しているのに、離れていってしまうのだろう。