死蔵のエッセイ(3)|人はいつ、大人になるのか?

人はいつ、大人になるのか。

そんな問いを、中年の域に入ってきてから切実に考えるようになった。「自分は大人のふりをしているだけの子どもだ」という感覚が未だに拭えないし、なんなら、年々強くなっている。

今に自分がまだ子どもであることがバレて、誰かに怒られてしまうんじゃないか?といううっすらとした不安がある。誰にバレるのか、怒られるのかはわからないけど。

大人と子供の境界線は、法的なものはあれど、どこか曖昧である。

韓国では、一定期間の兵役が定められている。是非はともあれ、そういう経験は通過儀礼的な側面を持っている、という考察もある。日本では強いて言うなら新卒就職(就社)が、通過儀礼っぽいといえば、ぽいかもしれない。

よく考えてみると、僕はひとり暮らしをほとんどしたことがない。18歳まで実家で家族と暮らし、大学の4年間と、社会人の2年目まで一人暮らしをした。その後早々と結婚し、妻と暮らし始めた。だから、実質的に一人暮らしをしていたのは大学時代を含めた6年弱しかない。いま44歳だから、実に38年間は誰かと一緒に暮らしていることになる。

一人暮らしをすれば大人になれる訳ではないが(論理的なつながりもないし)、どこか自分は大人になるための通過儀礼をし損ねたのかもしれない、という感覚が強い。

もういい年だ。子どももいるし、家も買ったし。でも酒も飲めず、タバコも吸わない。人見知りがいい歳をして治らず、父母の会にもあまり参加しない。趣味や行動範囲も、若い時代から変わらない(音楽が好きで、電車に乗るのが好きだ)。端的に言ってつまらない人間だと思う。

そういう生活の惰性と覚悟のなさが、自己認知として「自分は大人のふりをしているだけの子どもだ」という致命的な幼さの感覚につながっているのかもしれない。

SNSで見る同級生のみんなはちゃんと大人をやっているように見える。皆、いつ、大人になれたのだろう?

-死蔵のエッセイ