死蔵のエッセイ(1)|面白い文章を書きたい
エッセイを書く練習をすることにした。なぜなら、私は面白い文章を書きたいからだ。
面白い文章は力をくれる。面白い文章は生きる希望をくれる。仕事の終わりにあの本の続きを読もう!と思うだけで、どれほど一日を生きる力が湧いてくるだろう。不安な仕事を乗り越える勇気をくれる。少なくとも私はそうだ。
文章には確かに力がある。だから面白い文章は商品になるし、作家は職業たり得ている。
私は「面白い文章を書ける人」になりたい。なぜか?商品になるような文章を書けるなんてかっこいいし、私はそれがかっこいいと思う人間だからだ。それ以上の理由なんか不要だ。
だから面白い文章を書く練習がしたい。
しかし、自分が面白い文章を書くためのノウハウはない。いや、ノウハウはあるかもしれないが、それだけではカバーしきれない壁が立ちはだかる。面白い文章を書くためには、「面白い文章を書ける人」になる必要がある。ニワトリ⇄タマゴになってしまうが、そういうことなのだ。
そしてその壁を乗り越える方法は誰も伝授してくれない。自分で見つける必要がある、と私は思う。
だから私はエッセイを書く練習をすることにした。
ここまで書いて、不安がいろいろ湧き上がってきた。例えば、43歳の中年男性に面白いものが書けるだろうか?とか、自分は好奇心がなんか薄めだけど、面白いものが書けるだろうか?とか、あといろいろ・・・。
ダラダラと不安を書き連ねたが、読んでみて面白くないので全部消してしまった。とても悲しいことだが、泣き言と言い訳は商品にならない。
