どうにもならない日記(22)|「十二国記」と出会う・不安感とたたかう

2024/06/22(土)

昨日からの家族旅行の続き)朝起きて朝風呂に入る。昨日21時半に到着し、今日は8時にホテルを出るため、ほぼ寝るために来たようなものだなと思う。
それでも久々にみんなに会えるのは定期連絡をしているようで嬉しいもの。

子供の塾があるため、早々と辞す。電車と新幹線を乗り継いで、12時頃に帰宅。お昼を食べて子どもは塾へ。

私は巣鴨駅近くのカフェで週次の振り返りの時間を取る。

ジェーン・スーさんの「相談は踊る」にて、「失敗をしない、という土台無理なことを優先的にやっていると、やりたいことが何もできなくなる(意訳)」ということを回答されていて、我が身を振り返る。

振り返って、先週は(先週も)確かにメンタル的にひどい有り様だったが、なんとか感情と行動を切り離そうと努力をしていたとわかった。

2024/06/23(日)

昼食を作り、午後から外出。

ふらっと出先を決めず、武蔵浦和駅で降りてみる。武蔵野線で新秋津へ行き、そこから西武池袋線で池袋まで戻る。こういう何の意味や用事もない移動と散歩が好き。

武蔵浦和駅近くの本の須原屋で「十二国記 月の影 影の海」を購入。

というのも、先週あらためて「違国日記」を読みなおし、登場人物の槙生さんがファンタジー小説(明言されていないがおそらく)の作家だったり、アニメと合わせて「ダンジョン飯」を読んだりしており、これまで真正面から「物語」を書いたことがなかったので、チャレンジしてみようかな・・・と思ったところだった。

そのためにまずは勉強を・・・ということで「十二国記」のシリーズ第一作(正確には二作目)を読んでみようと思った次第。

2024/06/24(月)

今日は社内MTGのみで、午後を資料作成に使えたのでよかった。月曜日だがメンタルダウン少なめ。助かる。

昨日から読み始めた「十二国記 月の影 影の海」をさっそく上下巻読み終わる。すごく面白かった!平凡だが、どこか周囲の合わなさを感じていた女子高生が異世界にいざなわれ、やがて自分の使命を自覚する・・・という筋としては珍しくない話だが、異世界と現実とのギャップが登場人物の視点が描かれているのでぐいぐい読めるし、「世界」の設定が秀逸なので、それが物語の中でめちゃくちゃ装置として機能している。

とはいえ1992年の作品なのでもう30年近く前の作品で、何をいまさら、という感じなのだが、この年齢で出会えてよかった。本はやっぱり読むべきタイミングに出会うものだなあと思う。さっそく次の巻も読みたい。

それにしても、ファンタジーとは、なんと作品のテーマが大きいのだろう。「人とはどう生きるべきか」とか「国とはどうあるべきか」。こんな大きな作品が、テーマが、自分に書けるだろうか??

会社の同僚にお子さんが生まれた由。とてもめでたい!!

2024/06/25(火)

昨日終わらなかったタスクをこなすため7時から仕事に入り、朝からミーティングがつづく。ミーティングの合間に資料をつくるという泥縄をやってしまう。なかなか計画的になれない。

ミーティング中の自分の振る舞いが場を固くしているとの指摘。本当につまらない人間過ぎて、嫌になる。

なんのために仕事してるのか。それは生活をするためだけど、自分は生来、適当で怠け者な人間だ。放っておいたら適当に手を抜いてしまうし、他の人みたいに細部へのこだわりもない。好奇心も少ない。

自分は社会人の「真似事」はやれるけれど、心から本当に社会人(=大人)になってはいないのだろうな。怠け者で適当で、いい加減で引きこもりな人間が、大人の真似事をやっているだけだ。ヤダヤダ。

一歩も外に出なかったので、夜中に散歩に出る。

2024/06/27(水)

今日は朝から「不安感」が強い。ああ、週半ばにメンタルダウンが来たな、と思う。

失敗したり、人にがっかりされたり、怒られたり、というマイナスのイメージが湧いてきてしまう。がんばって不安の感情をファクトと結びつけ、それは何の根拠もないのだと自分を説得しようとがんばる。

「万が一、全てに失敗しても会社をクビになるだけだ・・・」

「いや「だけ」じゃない。自分に対する自信を永久に持てなくなって、生きる意味なんかなくなる。その屈辱が起こるのが怖い」

「それが起こっても大丈夫だろう。なんとかなるだろう」

「いやいや、だめだって。人生おしまいだよ」

この不安感の底には「自分がやること・考えることはすべて間違っている」という強烈な信念がある。自分は他人に指導をもらわないといけない、自分が考えて行動してはいけない、もしそれをやると失敗し二度と立ち上がれない傷を負う。そんな強烈が不安と恐怖を呼んでいる。つまり自分で自分を支配しているのだ。

でも打ち合わせと資料作りを頑張ってなんとかがんばったのでえらかったということにしよう。

2024/06/27(木)

朝からミーティングが続く。今日は気分が落ち着いているが、微妙にメンタルが落ちていて、「だめな自分」というセルフイメージがうっすらとあり、ミーティングの振る舞いがうまくいかない。

17時に打ち合わせ終わり、タスクを集中するため珈琲館へ。2時間ほど集中。その後集中力が切れてしまう。まだ仕事が残っているのだが・・・。

今日は妻の帰り遅いため、子どもの夕食をつくる。

夜に気分転換で外に出て、駅前のカフェで2時間ほど作業。書店で十二国記のシリーズ2作目「風の海 迷宮の岸」を買う。読むのが楽しみだ。

2024/06/28(金)

ちょっと気持ちが落ち込んでいる。1on1ミーティングでの自分の発言が、自分でもびっくりするくらい「泣き言」が出てくる。気を抜くと「ふてくされ」が出てきそうで、気を引き締めないといけない。とはいえ今日はクライアントミーティングがないので助かる。

メンタルダウン中に買った「パーティーが終わって、中年が始まる」を読む。

ずっと、何も背負わない自由な状態でいたかった。  お金よりも家族よりも社会的評価よりも、とにかくひとりで気ままに毎日ふらふらしていることが、自分にとって大切だった。

(略)

いつまでこんな感じでやっていけるのだろう、ということは、あまり真剣に考えてはいなかった。わからないけど、まあなんとかなるんじゃないか、と思っていた。  四十代半ばになった今、つかまってしまったな、という感覚がある。何に? 世間に、だろうか。それとも、老いに、だろうか。

ここ数年ばかり、なんだか仕事の張り合いがなくなってきて「俺の人生は失敗だった」とか「ついに何もなかった人生だった」とクヨクヨすることが多い。まあそれが中年の危機なんだろうけれど、何も成し遂げていないおじさんのくせに、人生の危機なんて生意気だよなあと思う。

「仕事の張り合いがない」なんてセリフも、何かをちゃんと成し遂げた人のセリフじゃないか。

今俺が自殺していなくなったとしても、特に誰も困らないくせに、何をウジウジしているんだろうと思う。こういう事を考えてしまうあたり、ちょっと落ちているなあと客観視。

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