死蔵のエッセイ(10)|子どもの靴のサイズが自分と同じだった
先日、子どもの靴を買いに行った。
子どもは中学1年生だが、ほぼ帰宅部で、運動という運動をほとんどしていない。だから、近所をランニングでもいいから走れるように運動靴を買いに行こうとなった。
近所の、といってもそんなに近くではない靴屋に出かけた。もうすぐ閉店してしまうのだという靴屋は、僕も過去に買ったことがある。大きなチェーン店というほどでもないが、靴の種類は豊富だ。特にランニングシューズとか、そういったものの種類は多い。
そういえば、子どもがだいぶ長らく足のサイズを測っていないというので、ついでに測ってもらうことにした。24cmだった。びっくりした。いつの間にそんなに大きくなっていたのかと思った。
ついでに自分の足も測ってもらったら、足のサイズが子どもと同じ24cmだった。自分の足はもう1cmばかり大きいと思っていたから、長らくサイズの勘違いをしていたのだと、二重に驚いた。
服でもなんでも。「子どもは自分の体のサイズよりも小さい」という思い込みやイメージがあったが、いつの間にかそんなことはなくなっていたのだった。かろうじてまだ背は自分のほうが高いが、どんどん自分と同じ、あるいはそれよりも大きくなる(自分だって平均からすると背は低い方なので、追い越してもらいたい)。
反抗期ということもあり、家ではケンカが絶えないけれど、子どもだってあと10年もすれば、社会人になってしまう。少なくとももう子どもという年齢ではなくなる。
10年なんて、過去を振り返るとつい最近のように思えるが、この「あっ」という間の時間に、子どもが子どもである時期は過ぎ去ってしまうのだ。
人生が過ぎ去っていくそのあまりの速さに、やはりいつまでも新鮮に驚くし、寂しくなる。人類はいつまでも、この新鮮な驚きに抗えないのだろう。