【第4回】

隣国まで案内人が付くことになった。
偶然に迷い込む者がごくまれにいるが、里とこちらとは
本来簡単に行き来できるものではないので案内が必要だ、
ということだった。

選ばれたのは、若い女であった。
最初に会った者よりもいくらか背が高く、また年若いようで
あった。
出発に当たって、若者は鈴を渡された。
繊細な朱色の飾り紐のついた、玉のような美しい鈴である。
もし山の中ではぐれても、この鈴があれば案内人は居場所を
知ることができるので肌身離さず持っておけ、と言う。

「それから、ここのことは誰にも言わないで黙っておいて
くれないかね。我々は静かに暮らしたいのだよ。」

老人の言葉に、心を尽くした対応にとても感謝していた若者は、
もちろんです、絶対に秘密にしておきます、と答えた。

若者は女の後について歩いた。屋敷の姿はすぐに
木々に隠され、ぼんやりとした一点の光だけが残った。
じきにその明りも小さくなり見えなくなった。
気がつくといつの間にか、また霧が出てきていた。
霧で見失っては大変と、若者は懸命に歩くのだが、
やはり不慣れなせいか距離が開きがちになる。
一度、後姿が完全に見えなくなってしまい慌てて
走り出そうとすると、気づいて向こうの方からこちらに
戻って来た。
顔がはっきりと見える距離まで近づくと、何も心配はいらない、
というように女は微笑んだ。
そしてまた背を向けて歩き出した。

目の辺りがどこか冷たく冴え冴えとしているが、笑うと
花のようだな、若者は思った。
何度か休憩をとった。女はまったく疲れた気配を見せず、
ただ若者のために立ち止まっているのだった。

何度目かの休憩のときに、なぜ自分がここに迷い込んだか
いきさつを知ってるか、と尋ねた。
女はひやりとするような目を若者に一度くれた後、
いいえ、と答えた。
若者は話した。そして老人の言葉を思い出しながら、
自分のしたことは間違いか、どう思うかと聞いた。

「もし私があなたの立場なら、同じようにするだろうと思います。」

若者は顔をほころばせた。疲れていた体がこころなしか
軽くなった気がした。
そのうちに、もはやどの位歩いているのか分からなくなった。
霧のせいで方向すらも把握できないのである。
ずっと同じところをぐるぐると回っているのではないかと
思うこともあった。けれど若者は苦ではなかった。
休憩の度ごとに女と言葉を交わすようになっていた。
女は寡黙であったが時折静かに笑みを見せた。
その度に若者は胸の内が温まるように感じるのだった。

もうじきで着く、と言われたときにはどこか残念な気すらした。
霧が薄くなって、女は歩を緩めた。その背に追いつくと、
急に木立が切れて視界が開けた。崖上に出たのだった。
眼下に広がる眺望を眺めていると、女が一点を指して言った。

「あそこに見えるのがあなたの国です。」

若者は近づいて女の横に立ち、故郷に最後の別れをしようと
目をこらした。しかし、見えるのは黒々と広がる森だけであった。
いったいどのあたりに見えるのか、と尋ねようと横を見ると、
女はいなかった。

振り返ると、少し離れた後ろに立っていた。どこから取り出したのか、
漆塗りの黒い鞘の刀を手にしていた。さらりと滑らかに抜き、構えた。
刃が鈍く光っている。


【続く】

『雑記』

作:岸本 余白

ものをつくる人たち