【第3回】

黙って歩く女の後ろをいくらか間隔をあけてついてゆくと、
いつの間にか霧は薄くなっていた。
そして遠くに穏やかで温かな光が見えるようになった。
女はそちらを目指しているものらしい。
じきに、その光の正体が分かった。
木々の中に屋敷がたっていた。見慣れないつくりであるが、
落ち着いた趣向で、丁寧な手の込んだものであることは
分かった。
光はその中の明りが漏れているものであった。
女は屋敷の中に入っていった。

そのまま若者は一室に案内され、ここでしばらく待つように、
と言われた。
そう言い残して女はどこかに消えた。
どのくらい待ったか、するすると衣のすそを擦りながら、
数名の者とともに老人が現れた。見事な白髪の老人であった。
老人は若者の前に向かい合って座り、ここを里の者が訪れるのは
大変久しぶりだ、というようなことを言った。

「里、というのはあなたがたが暮らしているところのことだ。
我々はそう呼んでおる。」

若者は、衣や調度品がまったく見慣れないものであることなどから
薄々感じてはいたが、これを聞いて、この者たちは普通の人間では
ないのだろう、と確信した。

「どうしてここまで来たのか、よければ話してくれないかね。
里からの迷い人はもてなすのが我々の流儀、悪いようにはしないよ。」

若者は、ひょっとしたら山の中に住むという人食いかもしれないと
思って警戒していたが、老人の、まるで世の全てを知っているような、
叡智の光をたたえた穏やかな目を見ているうちに、心が和らいだ。

ここに来るまでのいきさつを全て話すと、老人はふむ、と少し
考えてから言った。

「しかし、その決まりごとのおかげで、肥沃ではないあなたの国が
今まで安泰を保つことができていたのではなかったのかね。
代々の者たちが子孫のために身を捧げてきた。
あなたの先祖や、祖父、祖母も、ほかでもないあなたのために
身を惜しまなかったのだ。
あなたは、自分が受けた恩恵を返そうとは思わないのかね。」
「けれど、俺は死にたくないんだ、どうしても生きていたいんだ。」
「恩を仇で返すことになってもかね。故郷にひびを入れることに
なってもかね。」

かまわない、とにかく生き延びたいんだ、と若者は答えた。
老人はそうか、としばらく考えた後、それでは、ここから
隣国の境まで案内しよう、と言って、後ろに控えていた者に
何事かを指示した。

若者は何度も礼を言って可能な限り低く頭を下げた。

【続く】

『雑記』

作:岸本 余白

ものをつくる人たち