正しい道をえらぶ?
生きていると、さまざまな選択を強いられる。
それこそ、ひるめしのもんだい(by 椎名誠)から、
人生を左右する問題まで。
いったい人は、何を基準にして道を選ぶのだろう?
どうやって道を選べば、「正解」の道を行けるのだろう?
●転職のゴールとは、何だろう?
僕は2008年に入ってから、ずっと転職活動を
つづけているが、まったく不調である。
なぜ転職をするのかというと、
まず仕事内容の問題があり、それから給料の問題だ。
「なーんか、しっくりこねえなあ。」
と思ったのが、転職を始めたきっかけだった。
「自分探し」の名の下に
次々と仕事を変える若者が、社会問題、あるいは
大人たちの笑いの種になっているが、
僕もしっかりその一人である。(笑ってほしい)
でも、転職活動をつづけていくうちに
得られるものもある。それは例えば、
「転職のゴールとは、何だろう?」
という問いを立てられたことだ。
転職活動のゴールとは?
会社を、仕事を、変えることだろうか?
・・・チッチッチッ、ノーノーノーだ。
転職というのは、あくまで手段なのだ。
●あなたにとって「幸せ」とは何だろう?
転職はあくまで手段であって、目的じゃない。
転職活動を長くやっていると、それ自体が
目的化してしまうことが、往々にしてある。
でも、
何のために、会社や仕事を変えるのかを
忘れてしまったり、そもそも考えてなかったりでは
仕方がない。
人が何か行動を起こしたりするときには、
心の根っこの方に
「自分はこうありたいんだ」
「自分はこういう世界観を持っていて、実現したい」
「自分にとっての幸せは、これ」
という、遠くて大きくて、強い視点 = ビジョン
がある。
「ビジョン」は、自分でも気づかないことが多いし、
気が付いても、あまりにも青くさい気持ちなので
無視してしまう人もいるだろう。
でも、どんな人にも、ビジョンはある。
生きてくれば、絶対にあるはずなのだ。
ビジョンがなければ、道なんか選べない。
ビジョンがなければ、選択の基準がない。
逆に言えば、自分なりのビジョンに沿うことが
いちいち納得のいく選択を生み出すことに
つながるのじゃないか?
●流れに身をまかせる生き方もある
しかしまた一方で
「自分はどうしたいか」
などという、自意識みたいなものとは無縁に
流れに身をまかせながら、人生をエンジョイする
人たちもいる。
来るもの拒まず、といった風情で
次々と面白い人や出来事に出会って、
人生を開いていく。
そういう人たちはきっと、
ある種の「流れ」のようなものを見る視力に
長けているのだと思う。
良い流れが来れば、のっかる。
流れに身をまかせるような潔い生き方を
徹底的に、自分のものにしているのだ。
そういう受け身の生き方は、僕には絶対に
真似できないが、
それが生き方として無理のないものならば
ひとつのビジョンには違いない。
・・・
今とはちがう、別の道を選ばなくてはいけない
というときには、
「自分は、何がしたいのだろうか?」
という、遠くて大きな、人生へのビジョンが必要だ。
「そんなまだるっこしいこと考えていたら、
どこにも進めないわよ」
と、人は言うかもしれない。
でも、やっぱり僕は、小手先でなくて
大げさなことをジタバタと考えながら、生きていきたい。
それもまた一つのビジョンだ。おそらく。