『世界のかたすみ』 から
今年(2007年)の6月ごろ、僕は
ヤトミックカフェを運営することに
飽きていた。
自分のやっていることは、単なる
ルーティンワークに過ぎないじゃないか、
と思い始めたのだ。
作業に、新鮮味が感じられなくなっていた。
ちょうど、不定期におそってくる
ユーウツの波のせいもあって、
(そういう波があるのよ)
「どうも、俺の人生がどんづまりだなあ」
と、毎日が灰色であった。
ものごとに『飽きる』というのは、
怖いことだなあ、と思う。
世界が色あせていく、あの感じは
本当に嫌だ。
できることなら避けて生きたい。
でも 『飽き』 は、厄介なことに
あらゆるところに忍びこんでいる。
油断ナラナイ!
難しいのは、
あるものごとに飽きてしまった場合、
思いきってそれをやめてしまうか
(恋人だったら別れてしまうか
サイト運営なら、サイトを閉鎖するか)
飽きを何とかして克服して、継続するか。
どちらを選ぶのか、という決断だろう。
つまらないことをつづけるのは苦痛だ。
けれど、
「継続は力なり」とよく言われるし、
つづけることで、
ものごとと自分の関係は、深みを増す。
職人の世界のように。
できるだけ刺激が減らないまま
ものごとがつづくに越したことはない。
でも、
実際に 『飽き』 が来ちゃった場合、
どのように克服すればよいのだろう?
・・・
手前味噌で恐縮だけれど、僕の場合。
僕は、自分を
『世界のかたすみ』 にいる小さなもの、
と捉えることにした。
『世界のかたすみ』 にある小さなカフェを
好き勝手にやっているんだと。
誰の注目も受けていない。
受ける必要もない。
好きでやっていることなんだから
何をやってもいいし、
まあ、嫌ならやめてもいい。
アクセス数を価値にしたり、
有名になることを望んだりといった、
『中心』 へ進んでいく運動は
やめてしまおうと思った。
つまり僕は、
自分のスタンスを、どーん!と
ズラすことで、ものごとと自分との
関係を変えて、『飽き』 を解消したのだ。
(エラソーな解説)
・・・
ゴカイを招きやすいのだが、別に
『世界のかたすみ』 というコンセプトは
無欲を説いてるわけでもなく、
何かをあきらめたわけでもないのよ。
『世界のかたすみ』 にいるんだ。
何をしても別にいいじゃないか。
そう思うと、心がリラックスして
ノビノビできるのです。
表現においては、このノビノビの確保が
とっても重要だと思うのだ。
心が萎縮してしまっていたら、
「向上心」や「努力」がいくらあっても
まったく無意味である。
・・・
と、そういうわけで
しばらくは 『世界のかたすみ』から
好き勝手やることにしたい。