差し出せるものが才能
大学を出て、
はじめて就職した会社は、IT関係の会社だった。
システム構築とか、そういうものを生業としていて、
当然、求められるものはIT技術、知識である。
僕は技術職ではなく、営業職に配属された。
そのせいか、
僕は、IT技術を身につける機会を逃した。
自分の努力不足もあったのだろう。
しかし実際、技術が求められる会社の中で
何も身につかないまま日々を過ごすのは、
恐怖以外の何ものでもなかった。
嘘をついて、身分を偽って過ごしているような、
悪いことをしているような感覚だった。
じゃあ努力して、技術を身につけろよ
って話なのだ。
とにかく、言い訳をするのはよそう。
僕は技術を身につけられないまま
二年くらい会社にいて、そして辞めた。
そんな、空っぽな中でも
少しでも役に立てることはあった。
パワーポイントで資料を作ったり、
Excelで仕様書を見やすく、読みやすく作るのは
比較的、得意な方だった。
そういう作業は副次的なもので
決してメインの仕事ではなかったけれど、
どんな作業でも、それを得意とする人間が
いることは都合がよかったのか、
何度か手伝いに呼ばれたりした。
自分のした仕事が
ささやかであれ役に立っているのを見るのは
嬉しいことであった。
自分の中にある能力が
目に見える形になって仕事にあらわれ、
それが人に喜んでもらえる、というのは
なんと嬉しいことだろう。
仕事をしていると、
今まで自分が思いもよらなかったことが
意外に上手くできることに気が付く。
『他人に上手に差し出せるもの』
それも自分の才能なり、と
言っていいんじゃないだろうか。
もしもその能力が
自分の意に沿わないものであっても、
『できてしまう』
ことは才能なんじゃないだろうか。
今思うと、
あのささやかな作業の中に、
僕の才能が、目に見える形となって、
他人に差し出されていたのだ。
確かにそれは喜ばしい瞬間だったのだ。