ほめられるということ
これは思いつき。
ふっと思ったことである。
思いつきですからね。
怒らないでくださいね。
笑ったりするのはいいですよう。
「ほめられたい」
というのは、誰しもが抱く欲求ではなかろうか。
子供は母親にほめられようとするし、
生徒は先生にほめられようとする。
それはつまり、自分の存在を
「価値あるもの」として認めてもらいたい、
ということだ。
それはとても嬉しい。
しかし、当然ながら、仕事では
そうそうめったに
「ほめられる」
機会はないものだ。
それはなぜかと考えるに、
「ほめるに値すること」が、
その人の仕事の中に、ないからだ。
子供であれば「上手に絵を描いた」だとか、
生徒であれば「テストでいい点を取った」だとか
ほめられるための、目に見える要素が、あちこちにある。
ところが、仕事というものは、どうか。
小さな細かい作業が積み重なって、
じんわりじんわりと、大きな目標が遂げられていく。
生産ラインに乗っかって、車が出来上がっていく
というのと同じではないか。
あなたは数あるネジのうちの、たった一本を締めている。
そのネジが誰かの目にとまることは、ない。
僕はちなみに今、
大変大変大変・・・・・・地味・・・・な資料を
コツコツと作っていて、それ自体が上手くできたから
といって、ほめられるようなものではない。
でも、それはそれで、仕事のひとつだと思って、
とにかくやっている。やるしかない。
食いっぱぐれないようにな。
仕事はとにかく細分化している。
一人の作業の一つ一つは、必要なものだ。
でも、人にほめてもらうための、
きらびやかな要素は含まれていない。
それでもおそらく、人は「ほめられたい」
のだと思う。
自分が心からやりきったと思える仕事で、
人に喜んでもらえるような仕事で、
ほめてもらいたいと僕は思う。
アマーい考えなのはわかってはいるけれど。