矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。

無力であることをやめない


若いということは、無力であることと同義だ。

と、朝日新聞のインタビューに答えて村上龍氏が
語っていた。
無力ではあるが、無能であることとはちがう。
無力であることを認めて、そこからはじめる。
集中力を傾けられることを探すべきだ。

そのインタビューを読んで、はっとしたのは、
『若いとは、無力だ』
というところだ。

考えれば当たり前のことなのだけれど、
若いときには、何もない。

ものすごく巨大な才能を持っている人は別にして、
僕を含め、たいていの若い人は、まだ
何も持っていない。

長い時間をかけて蓄積したスキルもない。
お金があるわけでもない。
人脈も潤沢とはいえない。

やりたいことを実現させるために必要なものが、
全然、そろっていない。

僕も、ときどきものすごい無力感におそわれる。

行きたい場所に、どう行けばいいのかわからない。
アイディアをどう具体化していいのかわからない。

たとえば今、ひとつ、ある大きなイベントの
アイディアを持っている。

でもそれを実現させようと思ったら、足りないものが
ボロボロとある。
それは、僕がどう努力しようが、現状では手に入る見込みの
薄いものだ。
(まだあきらめてはいないけれど)

しかし果たして、
このどうしようもない「無力感」は、
やっつけてしまうべきものなんだろうか?

そう、
「無力であること」は、悪い状態なんだろうか?

自分の無力を悪いこととして、やっつけようと
している人が、増えていないか?
無力感をやっつけるための道具とされているものが、
増えていないか?

インターネットで、株を取引きする。
株で当てれば、若くして大金持ちになれる。
大金持ちになれれば、「無力であること」を退治できる。

オーディションを受けて、タレントになる。
タレントになってテレビに出られれば、有名になれる。
有名になれば、自分はもう無力ではない。

・・・・
ちょっと極端な例を挙げたかもしれない。
株だって、有名になろうとすることだって、それらの行為は
何一つ、批判されるべきものではないと思う。

ただ、それで自分が
「何者かになれる」
「何ごとかを成し遂げられる」
というのは、幻想ではないだろうか。

地道にコツコツ努力するのが大事なんだ、
などと大上段に構えるつもりはないのだけれど、

そんなに簡単にはいかないんじゃないか?
うら道、ちか道なんて、ないんじゃないか?
時間をかけて、いろいろなものを溜め込んでいくしか、
「自分の無力さ」を減らしていく方法は、
ないんじゃないか?

・・・と、思ってしまう。

たくさんの人のことは、僕は知らない。
ただしばらく、何年かかるか、何十年かかるのか、
わからないけれど、「無力であること」を、
僕はやめないだろう。

エラソーに言ってはいるけれど、エラクはないんだ。
ハナタレ小僧だ。頭も悪いんだ。