死蔵のエッセイ(2)|文学フリマに出た

さる5月11日に「文学フリマ東京40」に出展した。文学フリマとは、公式サイトの説明によれば以下とのことである。

文学フリマは、作り手が「自らが〈文学〉と信じるもの」を自らの手で作品を販売する、文学作品展示即売会です。

文学フリマにはこれまで4回参加している。これまでで一番売れたのが、会社の同僚と作った往復書簡で、これは30冊が完売した。

そのほかは、自作小説、ミッドライフ・クライシスや自己肯定感をテーマにしたエッセイ集、そして小説の執筆日記だ。自分一人で書いた本はことごとく売れなかった。

毎回「今度はどんな本を作ろうかな」と考えて原稿をつくるのは楽しい。しかし当日になると毎回ほとんど売れない。売れないので毎回在庫が積み上がる。つくるのは楽しいのに、いざ当日、まったく売れないと悲しくなる。在庫の山の前で閑古鳥をなかせている自分と、人が行列している有名作家や有名サークルとを比べてしまうとなおさらである。みじめ極まりない。

売れない、ということは「自分が面白いと思うものは誰も面白いと思ってくれない」という凍てついた現実を突きつけられていることになる。さんざん苦労して、そして少なくないお金を払い、その挙げ句にみじめさを味わうというのはどんな羞恥プレイなのか・・・と我ながら呆れる。

しかし本をつくるのは楽しいし、「まあ今回は売れるかもな・・」と根拠のない舌なめずりをしているのだから文句は言えない。自業自得だ。

それに、文学フリマでは本を買う楽しみもある。会場で買うのは主に、エッセイ、旅行記、グルメ(料理やカフェ系など)、マイナージャンルの探究本といったジャンルだ。「こんなことに情熱を傾けている人がいる」とか「こんな体験をしてきた人がいる」とか「表現や切り口の創意工夫が面白い」とか、知識欲が爆発して財布の紐がゆるくなってしまう。

全然作品が売れないのに、毎回たくさんの本を買いまくってしまう。出費ばかりがかさむ。文学フリマは、ほくほくした満足度と、がっかりしたため息の両方が味わえる稀有なイベントだ。今度はどんな本を作ろうか・・・と性懲りもなく考える。

-死蔵のエッセイ