空き地で遊べない奴は、どこでも遊べない。
これは、とある人に聞いた『空き地理論』。

何をしたって、どこを見学したって、楽しさを見つけよう。
空き地でも堂々と遊べるような大人になろうじゃないか。

黒部ダムを見学した!


この見学のテーマ:ダムのでかさを実感!



行って来ました、黒部ダム!夏休みを使って。
いや、もう、でかい!ダム。さすが。

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〜黒部ダムまで私はどのように行った乎(か)?〜



実は黒部ダムって、とんでもない(失礼)山奥にあるんです。

社会科見学なんか、そう易々とは、させてくれないわけ。
軽い気持のイージーな奴らは、見学お断わりなわけ!
つまり、こばむわけよ。大自然がさ。

見学のルートとしては、富山側から行くルート、長野側から
行くルートの、2パターンがある。

わたくしは、長野側から。
私の風邪は、喉から。
みたいなね。

長野側の出発点は、『信濃大町』(しなのおおまち)という、
小さな町。
そこからバスに乗って、扇谷(おうぎたに)というところまで行く。

その扇谷というところが、すでにもう、山の上なんだ。
バスから降りたら気温がすごい低い。
20℃もない。ううう、下界はあんなに蒸し暑いのに!

察するに、きっと山男はクールビズ知らずだろう。

あの猛烈に暑い中、馬鹿の一つ覚えみたいに、
ネクタイだけはずしたシャツを着て、クールビズ、などと
省エネスーツからまったく変わっていないダサい志向を振りかざす、
そんなくだらないサラリーマン生活を、知らないのだろう。
イイネ!山男!


扇谷にて。16℃しかない。ここは下界とは違うのだ!

しかし、寒い。半袖なんか着てきて、後悔した。
気持ちが軽かった!覚悟が甘かった!

ダムが見たきゃ、俗世間の常識は捨てな、ええい!と

諭されているような気までしてくる。
ダム仙人みたいなやつに。

気のせいか、見学者はダム仙人と見まごうばかりの、
老人ばかりである。
「どれ、孫に写真とって送ってやっぺよ」
と、おじいさんが取り出したのは、カメラ付きケータイ!
♪シャリロ〜ン(激写!)

老人にはシンプルなケータイが売れる!なんて巷じゃ言っているが、
本当かよ、と怪しくなってくる。

扇谷からは、トロリーバスという乗り物に乗る。
バスと名が付いてはいるが、実際は上に敷かれた架線から電気を
取って走る、電車の仲間である。
昔は東京をはじめ、大都市にはこのトロリーバスが走っていたらしいが、
今では、トロリーバスに乗れるのは、
長野と富山を結ぶ、『立山黒部アルペンルート』だけだ。


トロリーバス。屋根から突き出た触角みたいな棒が、
架線から電気を取って走る。
ちなみに、日本じゃここだけだが、ヨーロッパではたくさん走ってる。

トロリーバスに乗って、関電トンネルを抜けていく。

このトンネルが、ダム建設の大きな柱を握っていたのですよ、
ああた、ええ?おわかりになりますか?
知らざあ、言って聞かせやしょう。(えらそうだね)

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〜黒部ダムができるまで〜



人里はなれた山奥に、どうやって馬鹿でかいダムを、
でーんと作ったか?

黒部ダムの建設工事が始まったのは昭和31年。
日本は戦後の焼け野原から、ようやく立ち上がろうと
していたときだった。
そのとき、復興に必要なもの。そう、それは電気。

電気が足りなきゃ復興は無理だ。
そう、国民全体が叫んでいた。

この状況を打破すべく、関西電力は、
水力発電に最適とされながら、厳しい自然と複雑な地形で
人間を拒んできた黒部峡谷に、ダムを建設することを決定した。

しかし、何せ人智の及ばぬ山奥である。
建設現場まで、道なき道を行かねばならない。
(遭難しなかったのかな?)

まともな道がない、ましてや道路なんかないのだから、
建設のための資材を運ぶことすらままならない。

だから、資材を運ぶトラックが通ったりするための、トンネルを早急に
掘る必要があった。

大町トンネル(現在の関電トンネル)は、急ピッチで掘り進められていたが、
坑口から2,600メートルの地点で、破砕帯にぶつかってしまった!

破砕帯とは、岩盤の中で岩が粉々に砕け、地下水を溜め込んでいる
地層のこと。
何せ軟弱なもんだから、掘ったら地下水が大量に湧き出してしまい、
トンネル内は危険な状態に!

何とか破砕帯を迂回しようと、、あちこちパイロットトンネル(お試しトンネル)
を掘ってみるが、なんとも抜けられない。
そこで一時工事は中断してしまう。

しかし、トンネル工事をやめてしまえば、ダム建設も夢と終わってしまう。
日本の復興にかけて、何としてでも掘り進めなければならない。

不可能とされた破砕帯突破を実現すべく、科学の粋が結集された。
そう、プロジェクトXが始まったのである。

最大の敵は地下水であった。
結果、破砕帯を迂回するために掘ったパイロットトンネルから水を抜き、
薬剤とコンクリートで地層を固め、地下水の湧出を止めながら掘り進む
という、当時として最新鋭の工事技術が採用、駆使された。

7ヶ月に及ぶ破砕帯との戦いは、こうして終わりを告げたのである。

そして昭和38年6月、7年の歳月、そして171人の殉職者を出し、
黒部ダムはついに完成したのであった・・・・・


見学ルートの片隅にあったコンクリートバケット。
コンクリート車の1.5台分のコンクリートが作れる。
ダム建設には、これを17万回運んだ計算になるらしい。

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と、長い説明でしたけれども、トロリーバスでたった10分で抜けられちゃう
トンネルに、ダム建設の肝があったっておわかりになりました?

そして、ついに、黒部ダムあらわる!


上から。



ちょっとちかづく
毎秒10立方メートル以上の放水!
虹もかかっている。


さらに近くから!


黒部川をせき止めてできた黒部湖が広がる。

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〜まとめ〜



今回の社会化見学のテーマ:ダムのでかさを実感!
結論:見た目も歴史もでかかった!

ここが『観光スポット』になるまでに、どれだけの苦難があったか!
この場所には、『昭和史』が込められている。

というか、電気を作るのにはこれだけの馬鹿でかいダムが必要なのだ!
無駄にはできない、ではありませんか。
例えば!

「ちょっちー暑いんでえー(もしくは寒いんでえー)エアコンの温度
馬鹿上げ(もしくは馬鹿下げ)してもよくなあい?」

などと!
軽く、ソフトタッチに電気を扱う輩がいたならば!
黒部ダムの苦難を思い出せ!
断固NOを叩き付けたい!
たとえできなくても・・・心の中ではNOを!清きNOを!
NOと言えるわたくしを!

リメンバー、黒部ダム!

皆さん是非訪れてみましょう。