Eメールが滅びるべき5つの理由
ヤトミックカフェ運営人の矢透泰文です。
私は、仕事に忙殺されるようになってから、「Eメール」というものに敵意を持つようになりました。私は思うのですが、「Eメールは道具としては三流品」です。一刻も早く、新しい技術に取って替わられるべきだと思います。
・・・ということを言ってもなかなか共感してもらえないのですが、日頃のストレス発散として私がEメールを敵視する5つの理由をエントリーしようと思います。
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理由1.文章を書く煩わしさ
メールが使いづらいのは、書く人の文章スキルに依存しまくる点です。
わかりやすいメールを書くためには文章を書く訓練を要しますが、そもそも使うのに面倒な訓練を要する道具が使いやすいはずはありません。
しかも、メールには「きちんとした文章をかかなければ」というプレッシャーが働きます。友達同士ならまだしも、クライアントにメールを送るのに「了解!」の一言でメールを終えられる人がどのくらいいるでしょう。
つまり、すこぶる単純な要件、例えば「メール読みました」ということを伝えるためだけに、きちんと文章を整形しなければいけないのです。非効率極まりないです。
理由2.情報の許容量が大きすぎる
メールは、情報量に制限がなさ過ぎます。
いくらでもダラダラとテキストが書けますし、HTMLも記述できたり、添付ファイルが付けられたりします。一通のメールに載せられる情報量が多すぎて、人間が(少なくとも私が)一度に処理できる情報の許容量を超えることがしばしばです。
道具としては懐が深すぎるのも考えものでしょう。
理由3.1通のメールからどんどんタスクが発生する
メールはメールの送受信だけで終わりません。1通のメールには多かれ少なかれ「自分への依頼」があり、その依頼をこなすために、新たなタスクが発生します。
メールの前後にはタスクの渋滞が起きます。また、メール処理自体もタスクになります。しかもそのほとんどが「今すぐ処理されること」を要求してくるため、優先度もつけなければいけません。メーラーを一定時間オフにしないと、メール処理だけで1日が終わってしまいます。
使う人を助けるどころか、タスク地獄に陥れるとは、なんて道具でしょう。
理由4.いちいちメールの重要度を判断しなければいけない
メールの宛先が、自分にToなのか Ccであるかによってメールの重要度が変わります。それをいちいち件名や宛先、前後の文脈で判断しないといけません。
いちいちそんなことを判定していたら、いくら時間があっても足りません。かくして、「件名だけで重要でないとわかるメール」の未読件数が1日であっという間に3桁を突破します。
Gmailには、メールの宛先のどこに自分が位置づけられているかによって、メールの重要度を見分ける機能がついています。そのことからも、メールの重要度判定が、「メール処理における面倒くさいタスク」の一つとして認識されていることがわかります。
理由5.実はインターフェースが定まってない
これは意外と見落とされがちですが、電話などと違って決定版のインターフェースがありません。デバイスや環境によってソフトやアプリが異なり、環境を変える度にいちいち操作を覚えなくてはいけません。
Gmailなどのブラウザメールは、環境によるメーラーの違いを解消してくれましたが、必ずしも「使いやすい」とはまだまだ言えません。
使う人が努力しないと使いこなせない道具が「インフラ」になっていることに驚きを禁じえません。
以上、5つの理由を上げてきましたが、世の中には、ものすごい数の「メール処理関連のライフハック」が紹介されています。これはひとえに、メールが道具として複雑すぎることを表していると思います。
こんな複雑な道具を「日常的に使いこなさなければいけない」ストレスは筆舌に尽くしがたいです。一日も早く、Eメールが過去の産物になることを願ってやみません。