矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。


量を供給してなんぼじゃ


確か、糸井重里さんが言っていたと
思うのだけれど、

コピーライターの養成学校で、
あるもの・ことについて、
コピーを課題として作らせる。

そのとき、言われるのが

「とにかくたくさんコピーを作れ」

ということだという。
質は二の次。
とにかく量を供給せよと。

この
『たくさん作ることが大事だ』
ということが、心の中に残っていた。

そして最近、
また前回に引き続いて
脳科学者の茂木健一郎さんのブログ
についての話になるのだが、

茂木さんのブログは面白い。
読んでいて興奮するし、やる気が出てくる。
そして何より、量だ。

目が回る忙しさの中のどこに、
こんな面白く、かつ多量の文章を
書く時間があるのだろう。

2007年4月30日のブログに、以下のように
書かれている。

最近の私の人生の課題は、実に、いかに
集積度を上げるか、密度を濃縮していくか
ということにある。
もし、全ての仕事が原稿用紙の枚数に
換算できるならば、
原稿用紙換算月産600枚、800枚の
仕事を、ずっと続けなければなるまい。
(クオリア日記より引用)


量とは、密度だ。

表現において
『多産である』
ということは、重要なことであると思う。

マラソンランナーは、
42.195kmを走りきるために、
幾度となく走りこみをする。

それを繰り返すうち、一般の人には
到底達せられない境地にいく。
単純な言葉で言えば
長い距離を走れる、しかも速く走れる
という体になる。

表現でも同じなのでは?

もう枯れるんじゃないか、
というくらいのギリギリまで、
いや、もう限界すら超えて
出し尽くすことで、
見えてくる何かがあるのではないか。

さらに付け加えるなら、
先ほどのコピーライターの例で言えば、
ひとつの案件について、
アイディアを多産できることは、
プロとしての信頼につながるのではないか。

クオリティが云々、じゃない。
プロはまず、量を供給してなんぼじゃ。

僕はその厳しさの中に、
身を投じるべきなのだろう。