矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。


可能性がひらかれている。


脳科学者の茂木健一郎さんのブログ
最近読んでいて、
『知』というのは面白いものなんだなあ、
と思い始めた。

『知』というのは
単に頭が良い、ということではない。

何というか、『知』というのは、
世の中をもっとクリアに見られ、
いろいろところから刺激を得る、
そのための手段、装置?
という感じなのだ。

うまく言えないけれど、
生き方の問題である気がする。

『知』を支えているのは
情報量の多さはもちろんなのだけれど、
それは
情報の量だけを、
何をどれだけ知っているかを競うような、
ノーフューチャーなレースじゃない。

繰り返すけれど、生き方の問題だ。

『知』を持っている人たちは、
生き方が、ピンと前を向いていて、
明るさを志向していて、
しかも
そのポジティブな姿勢が無根拠なものでなく、
その姿勢を保つための情報を
ガソリンのように自分に取り入れ、
さらに新しい情報、考えを生み出していく。

そういう生き方って、面白いだろうなあ!!

・・・
知らないと、どうにもならないことがある。

自分の置かれている状況に、
ただ絶望してしまうか、あるいは
その状況を分析し、客観視し、乗り越える
情報を持っているか。

知る、ということ。
考える、ということ。
情報を使う、ということ。

それらができることは、
生きるうえで強力な武器になる。

その武器がほしいな、と思った。

・・・と、同時に
手に入れればいいじゃん、と気が付いた。

『知』を手に入れられる可能性は、
僕にだって、ちゃんとひらかれている。

そのことに気が付いたとき、何だか
世界が少し広がった気がしたものだ。

可能性だけは、ある。
とりあえず、英語を勉強しようか。