矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。


承認欲


このところ、どうもやばいぞ、
と思うのは
メールのチェックを、
一日に、何度も何度もしてしまうことだ。

30分前に見ただろうがよ、
と自分で自分に突っ込みながら
受信フォルダをクリックしている。

ここでいうメールとは、
会社で使っている仕事のメールではなく、
ヤトミックカフェ関連の、
つまりプライベートなメールのことだ。

そんなメールは、一日に何通も
来るわけではない。
一通も来ないときだってある。
だから、
そんなに頻繁にチェックする必要なんか
これっぽちもないのである。

僕はどうしてしまったのだろう?

・・・
こっ恥ずかしい話なのだが、
『寂しい』
という感情が、消えない。

消えないどころか、
最近は、日増しに強くなっている。

体の内側から、ぎゅうっと強い力で
引っ張られるような、感覚。

単に感傷的に寂しい、と
頭で思っているんじゃなくて、
とにかく身体が苦しいのだ。

あれ、オレ病気なんじゃない?
と思うが、体調は普通だ。

どうしたどうした、オレよ、と考えて
「あっ」
と、気が付いた。


これは、『承認欲』じゃないか!?


承認欲というのは、
他人から認められたい欲求のことだ。

僕は、前回のカンガルーで、

『自分の世界観を外に出すことが
自分にとってまず重要なんだ』

と気が付いたことを書いた。

にもかかわらずだった。

僕は、人から認められたくて、
それでも認められなくて、
心の中で泣き叫んでいるのだった。

なんて恥ずかしいのだろう。
と僕は思った。

認められないことを恐れない、と
高らかに書いておいて、それかよ。

でも、
これは貴重な苦しさだから、
十分に味わいつくしておけ


と、わくわくしている自分も、いた。

貴重な苦しさ。

僕が今、こんなに苦しいのは、
かっこつけた言い方かもしれないけれど
おそらく
自分の中から絞り出したものを、
世界を相手に伝えよう、届けようと
しているからじゃないか?

と、思ったのだ。

自分の中から絞り出したものを
世界に問うとき、
不安にならない人はいない。

大げさな言い方なんだけど、
自分の全存在を投げ出しているのだ。
どうして平気でいられる?

受け入れられるか、
否定されるか、
無視されてしまうのか。

受け入れられなかったときの失望はでかい。

僕みたいに
(自分の場合は弱すぎだと思うが)
苦しい、寂しいと、
出口のない苦しみの中を、のた打ち回る。

そのかわり、
受け入れられた、伝わったときの
喜びも、でかい。

・・・
僕が今感じている寂しさ、苦しさは、

借り物でない、
きちんと自分の中から絞り出したものを
世界に届けようとしている証なんじゃないか、
と思うのだ。

承認欲。

人は誰でも、
他人に認められたい、
という欲望を抱いているみたいだ。

それは、子供が母親に
自分の存在を泣いて知らしめるのと
同じくらい、切実なものだと思う。

でも、欲望を満たしたいあまり。

人の言葉を借りてみたり、
外見を派手に飾り立ててみたり、
すでに完成されたパターンに則ってみたり、
他人を脅迫したり
自分を貶めて、笑いを取ってみたり、

そういうことはしたくない、と、思う。

どんなにつまらない、貧弱で、
不恰好なものでも、
自分がギリギリまで絞り出した
もの、言葉を
世界に問うのでなければ、つまらない。

・・・
と、そんな想いも、もろもろ、
ちゃんと僕は伝えられているのかなあ。